カテゴリー:小説
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07/16/2008

04/03/2008

月曜日は魔法使い - いつかスイーツになりたい


届いた。

女性TRPGプレイヤーによる告白録にして、ハウツー本。「美人OLがダンジョン・アンド・ドラゴンズの真実を暴く!」帯からして他のD&D本とは異なるインパクトを放つ。

初めの方を軽くナナメ読み。ネタの濃さがハンパじゃないよ。女性プレイヤーに向けてD&Dの世界を説明するために、テクニカルタームをスイーツ言語(褒め言葉)で噛み砕いて表現しているんだが、ひとつひとつがどれも面白おかしい。元ネタを知っているD&Dファン、もしくはRPGのプレイヤーならクスクス笑いながら読めるはず。

たとえば、ヒットポイントの説明は「結婚式のシーズン、つまり戦闘中にあなたのキャラクターが耐えられる苦痛と悲感の量。あら、何か違う?この数字が大きいってことは、あなたの面の皮がそれだけ厚いということ。この数字が小さいということは、あなたはうお座の生まれか思春期が終わってない、ってこと。D&Dでヒットポイントがゼロになるということは、つまりあなたは羽根布団の下にもぐりこんで『グリース2』を見て、そして再びあなたを愛してくれそうな数少ない男性、ベンとジェリーにべったりしがみついてるってこと。」なんて書かれている。

グリース2が出てきたところで思わず噴いた。士郎 正宗のごとく大量に注釈が付けてあり、登場する用語の意味はなんとなく把握できるようになっているが、やっぱり元ネタを知っているとおかしさも数倍増す。これが女性向きの説明なのかは分からないが。

アライメントの説明では、Lawful - Good(だと思う)のことを「秩序にして善のセレブ」と言っていたり、他にも「真なる中立のセレブ」や「混沌にして中立のセレブ」が登場する。これらがいかにも居そうな人間に例えて表現してあり、なんとなくアライメントのことが理解できちゃう不思議。こういう説明はD&Dのことをしっかり知っておかないとできないことだ。著者のシェリー・マザノーブル氏のD&Dに対する愛情が伝わってくる。

洒落が随所に効いていて、楽しく読めそうです。

03/11/2008

月曜日は魔法使い - 火曜日は魔女

・月曜日は魔法使い  注文。

タイトルと表紙に釣られてみた。

 

こう見えてもれっきとしたDD本。しかも、あちらの国の翻訳版。原本はConfessions of a Part-time Sorceress: A Girl's Guide to the D&D Game (Dungeons & Dragons)。あちらでは2007年9月に発売されている。

タイトル通り、女性に向けた導入本であり、また著者であるシェリー・マザノーブル氏の体験談も交えている風変わりなDD本。ダークエルフ物語、アイスウインドデイルの著者であるサルバトーレ氏によると、彼女にDDの素晴らしさを理解させるのに最適な一冊らしい。私がDDを始めた頃にこの本があれば嫁さんは…なんて述べている。

翻訳版の「月曜日は魔法使い」は2008年4月1日発売。エイプリルフールネタでないことを祈る。

03/08/2008

あつまれ!ピニャータ - ピニャータかわいいよピニャータ

困りましたよ、ええ。Windows Live対応ということで、今回は始めからLiveでプレイしようと思ったのですが、プロダクトキーが通らなくて涙目なわけです。

Liveでプレイするにはアカウントを作ってから、プロダクトなんたらを入力しなければなりません。しかし、同梱されているプロダクトなんたらを入力しているにも関わらず、「プロダクトなんたらが違います。入力しなおしてください」と断固拒否されてしまい、一向にLiveが出来ません。そもそも登録するプロダクトなんたらは25文字のハズですが、同梱されている紙に書かれているものはハイフンを足しても23文字までしかない。おまけにハイフンで区切られている位置もおかしい。5文字で正確に区切られているところもあれば、3文字だったり、7文字だったりと明らかに不自然。何度も数えなおしましたが、どうみても23文字です本当にありがとうございました。

もうね、自分を疑いましたよ。お前は数もまともに数えられない池沼なのかと。確かに私が低脳であり、ノータリンなのは事実ですが、まともに数字も数えられないほどだったのかと。何度も何度も数えなおしても、黄色い紙に書かれているプロダクトなんたらは23文字しかありません。

そこで、Live関連のトラブルではないかと思い直しました。ご存知のように、Windows Liveはまだベータ期間の感が強く、対応ソフトはことごとくそれに関連したバグを内包しているのは有名な話。そこで今回もまともにLive認証が出来ないトラブルを抱えているのではないかと疑いを持ちました。

しかし、検索してもそのような症例は見当たらない(ピニャータ自体にバグが多いらしいですが)。うーん、なんでかなと箱の中をもう一度じっくり探してみたわけです。そしたらあったんですね。

プロダクトキーが。ケースの裏に隠すようにして貼り付けられていましたよ。黄色い紙に書かれているのはプロダクトID。どうりで違うわけです。23文字しかないわけです。自分のバカっぷり、愚鈍さを強く実感した次第です。



というわけで、全くオチてもいませんが、無事Live開通しましたのでViva!Pinata。集まれ!ピニャータは一言で言うと、箱庭ゲーですね。自分の庭を作って、そこでピニャータと呼ばれる生物を暮らさせるのが目的となります。

ピニャータというのはメキシコにおけるくす玉のことらしいです。なんでもメキシコでは、紙で出来たくす玉の中にお菓子を詰めて、みんなでそれを叩き割り、中のお菓子を楽しむ習慣があるのだとか。このゲームでもそれらしい説明がされていて、ピニャータが住んでいるピニャータアイランドから各国へピニャータが送られ、パーティー会場で割られた後にアイランドに戻る。そして再び、中にお菓子を詰めて、また出荷されるのがピニャータの使命。現実のメタファというか、陽気な見た目に反してダークな雰囲気をそこはかとなく感じます。

ゲームはそんなピニャータが住むというピニャータアイランドに主人公がやってきたところから始まります。草がボーボー生えた土地に、女の子が一人佇んでいるんですね。彼女の名前はリーフォスらしい。話しかけると、ボロボロのシャベルをくれて、「ここを耕して自分の庭を作ればいいじゃない!」って仰るわけです。しかたがないので耕すわけですよ、ボロボロのシャベルで。ガンガン地面をぶって。リーフォスに草のタネをもらって、草も生やしたりしながら。



すると、ワールムという芋虫のピニャータが庭へと寄ってきます。整備された土地が気に入ったみたいですね。こういう風に自分の土地を改良を加え、新たな野生のピニャータを誘い、住まわせていくのが目的となります。彼らが住み着く条件はそれぞれ用意されていて、「池が○%あったら」、「専用の家が配置されていたら」などがあり、的確に条件を満たさないと住んではくれません。中にはハテナで条件が分からないのもあり、一筋縄にはいかないことも。こうしたパズル、推理要素が含まれています。

同種のピニャータは条件が合うとなかよくなり、繁殖行動を行って、仲間がどんどん増えていきます。ピニャータ一匹、一匹に名前を付けることが可能なので、愛着がより沸くんですね。芋虫だから「くとーにあん」、うさぎさんだから「らびあんろーず」なんて、私の命名は安直極まりないんですが。

ピニャータの見た目は始めは少しバタ臭く感じましたが、動いている姿を眺めていると段々「かわゆす」となり、もう今では「ピニャータかわいいよピニャータ」。登場する人間はキモイ感じが拭えませんが、ピニャータはどれもかあいい。自分の庭で暮らすピニャータ達をまったりと眺めるのが幸せ。グラフィックの質も総じて高く、ピニャータ達の可愛さを引き立てています。



移住条件によっては「○○のピニャータを食べる」なんて残酷極まりない条件もあって、FPSなんかよりもよっぽど倫理観を揺さぶりかけます。生物界においては当たり前のことですが、可愛いピニャータ達を、手塩に掛けたピニャータを贄にするのは躊躇していまう。せっかくなかよしにさせて子供まで生ませたのに。仲むつまじく暮らす彼らを捧げなければ新種のピニャータを誘えないジレンマ。

しかし、新種のピニャータの魅力に負け、食われていく姿をじっと傍観する他ありません。ピニャータの中身はお菓子なので、死んでしまうと飴が散らばるだけの表現に留まっていますが、敵を銃でバンバン撃ち殺すゲームよりもよっぽど残酷に感じられ、罪悪感を誘います。

 

現在、庭のスペースが拡張されたところまで進行。序盤はチュートリアル色が強く、やらされている感がありましたが、お店やアイテムが揃ってきたことで、やれることが増えてきて庭を運用するのが楽しくなってきました。

現状の不満は、ピニャータの交尾時にミニゲームがあるのですが、これが激しくつまらない。交尾シーンが多いにも関わらず、ミニゲームのバリエーションが少ないのですぐに飽きてしまう。毎回似たようなコースでは貧困と言わざるを得ません。かといってミニゲームをやらないと交尾は成功しないわけで。


あとピニャータで実績の楽しみ方がなんとなく理解してきました。以前は、実績なんて獲得しても隠し要素が増えるわけじゃないし、なんも利益にもならない不要なシステムと思っていましたが、それは間違いでした。

実績システムはゲーマーとしての一種のステータスなんですよね。自分はこのゲームをプレイして、ここまでやったんだぜっていう証明。自尊心が勝手に築き上げられていく。そして、実績をピコン!と獲得する度に、手応えややり甲斐を得て、自己満足感が増幅される。

やりこむ事にそれらしい意味を持たせるって大事ですよね。
Amazonで購入すると、ついつい「ついで買い」をしてしまう。

目的以外のものを今回もやってしまった。これも全てAmazonの的確な「こちらの商品を買った人はこんなのも買ってます」、「こちらの商品もオススメ」システムの成せる技なんだろう。とにかく嗜好に合った最適な物を勧めてくるから、ついつい興味を惹かれて購入にまで至る。ネットショッピングの容易さに恐怖を覚えるばかりだ。

他の店では、男に女性用化粧品なんか勧めても意味がないのに、見当違いなダイレクトメールが多く、ユーザーのことを全く理解せずにチャンスをみすみす放棄しているように思う。探しても見つからない自分のめがね、探さなきゃ見つからない自分のめがねではダメだ。情報を活かして、探さなくても見つかる自分のめがねにすることが肝心。聞かなくてもマスターがオススメ商品を教えてくれるようなしたたかさが売上にも繋がると思う。

今回「ついで買い」したのは、「人間の手がまだ触れない / ロバート・シュクリイ」。タイトルで釣られたのは言うまでもない。SFというジャンルのタイトルは魅力に満ち溢れている。思わず手に取らせてしまうような魅力に。

たとえば「アンドロイドは電気羊の夢を見るか? / ディック」は言うまでもなく、パロディを挙げてみてもその影響力が窺えるし、「追憶売ります / ディック」、「世界の中心で愛を叫んだけもの / ハーラン・エリスン」、「月は無慈悲な夜の女王 / ハインライン」、「鋼鉄都市 / アシモフ」などは私が思わず手に取ってしまったタイトルだ。

中でも、ティプトリーJrは名タイトル揃い。「すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた」、「接続された女」、「たったひとつの冴えたやりかた」、「老いたる霊長類の星への賛歌」、「故郷から10000光年」、「愛はさだめ、さだめは死」、「ビームしておくれ、ふるさとへ」など、未翻訳分や短編も入れるとなるとキリがない程。

もちろん、上記に挙げているのは翻訳されているものばかりであり、日本語としてセンスに溢れたタイトルに訳した翻訳者の手腕が発揮されていることも大きい。個人的にはカタカナのタイトルに情緒なんて感じないので、積極的に日本語して欲しい限りである。中身は日本語に訳しているのに、タイトルだけ横文字なんてナンセンス(例外はあるとしても)。

トールキンが言った、「翻訳するのならばその地域に根ざした文化を取り入れてローカライズすること」は流石に極論ではあるが、一理あると思う。その地の人間に伝わり易い単語に直し、理解を高めんとすることって結構重要ではないか。現に、アラゴルンはやっぱり「馳夫」と呼んだ方がキャラクターのバックグラウンドの想像が容易い。ゴクリや貫き丸もそうだろう。そっちに毒されたせいでもあるが、映画を見た時にミドルアースは中つ国準拠でやってるくせに、貫き丸をスティングと呼んだりして違和感があった。あれは紛れもなくミス訳。日本語として意味の通らないゴラムなんて名前はもっての他。

01/28/2008

願望機 - 本質ってどこにあるの

思い描いている願望が必ずしも本質であるとは限らない。たとえ「病気の姉を治して下さい」という願いを持っていたとしても、心の奥底に眠っている願望は正反対のものかもしれず、願望機はその本質を見極めて具現化してしまう。願望機に願いを叶えてもらうには清廉潔白な真人間でなければならないが、そもそもそのようなものにすがりつくような人間が真っ当である可能性は低い。

信じていた自身の想いが偽善だと露にされる恐怖。もし願望機が願ってもいなかったはずの後ろ暗い願望を叶えてしまった時の絶望は計り知れないものがある。想像しえない一端が現れてしまうのではないか…そんなところに恐ろしさを感じずにはいられない。

人間には後ろめたいところが一つや二つ必ずあるはず。映画ストーカーと同じく、内なる本質に対する畏怖が教授や作家の言葉から読み取れる。私はストルガツキイが描いた人間臭さ、人間らしい汚さに安堵してしまった。



「どこかのあほうに、くそみそにけなされて、傷つく。べつのあほうにほめられて、これまた傷つく…ぼくがなにを書こうと、連中にとっちゃどうせ同じことだ!やつらはなんだって貪欲に食っちまうんだ!魂を打ちこめば魂を、心をかたむけ全力をつくせば、心臓を食いつくしてしまうだけさ。魂から汚らわしいものを抜き取れば、汚らわしいものを食う……連中にしてみればどうせ同じことなんだよ、なにを食おうが。どいつもこいつも人並みに読み書きができ、みんな感覚に飢えを感じているんだ……やつらはぼくのまわりで、べちゃくちゃうるさく騒ぎ立てるーー新聞記者、編集者、批評家、ひっきりなしにまくしたてる女みたいなもんだ……しかも、彼女たちは、私が一夜をともにすることを承知したといって、男どもを自慢するしまつだ!連中はなんだって要求する。さあ、書け、書け、とせっつく!そういわれて書きはするけれど、胸糞悪くなる。わたしはとっくのむかしに作家じゃなくなってしまった……書くことを憎んでいるとしたら、私にとって書くことが苦痛で、恥ずべき不愉快な仕事、なにか病的な生理的作用のようなものだとしたら、とてもじゃないが作家とは言えない……」

- 願望機 P56

辛らつでいて重い言葉。


・STALKERをプレイしていたら無性にBoiling Pointがしたくなる。

当時はメモリ不足(1GB以上にすると途端にスムーズになる)で重かったり、強制終了が多かったせいでクリアする前に寝かしてしまったわけだが、今こそ掘り出して吟味する価値があると思い立った。Boiling Pointはイイ線を行っていたゲームだ。ただ、いかんせん完成度が恐ろしく低かったのが問題だったのだろう。

ノンリニアと言っても同じ風景が延々と続くだけで移動が苦痛極まりなく、やたらとフィールドが広い癖に街が少ない。ミッションのほとんどが皆殺し系でバラエティに乏しく、アーノルドボスルーが娘を救出するシナリオも面白いとは言い難い。面白そうな要素は混在しているがそれらがうまく噛み合っていなかった。ここがSTALKERと明暗を分けた点。STALKERも完成度は高いとは言い難いものの、散らばっているかのように見える要素が見事にガッチリハマっていた。

ただ、Boiling Pointはネタゲーとして面白い部分が沢山あって、ジャングルを彷徨ってると唐突にジャガーが襲ってきたり、車を運転しているとババァが手榴弾投げてきたり、リボルバーがなぜかジャム起こしたり、戦闘時の音楽が情熱に満ち溢れていて妙に熱かったり、キャミソールを着た男がやたらと多かったり、と「さすがコロンビアだぜ」的な魅力というか価値観を崩壊させるセンスオブワンダーが潜んでいたりするのだ!

ということでパッケージを探すわけだが案の定見つからない。またか。必要な時に限って見つからないのが自然の摂理。探しても見つからない自分のめがね。ということでIFGさんで注文する。お安い良心的な価格で有り難い。再入荷待ちということなのでまったり待とう。

当時はなにこのダメゲーと投げてしまったが、今度はじっくり吟味して真価を問う。ちゃんと隅々まで味わえば、Boiling PointはStalkerに優るゲームかもしれないのだからッ!面白さに気付く前に止めてしまった、面白みを探そうとしなかったあの頃の自分を悔やみたい。

10/13/2007

終わり行く瞬間がこの世で一番美しい

バラードは好きなSF作家の一人。しかし残念ながら今まで短編集しか読んだことが無かった。というわけで長編作品である「結晶世界」をチョイス。他にも色々と購入。シルヴァーバーグ、ゼラズニイは共に初見、楽しみだ。

ティプトリーの新刊「輝くもの天より墜ち」も欲しかったが、Amazonでは売り切れていた。またの機会に回す。楽しみは後に取っておいた方が良い。

○夜の翼/ロバート・シルヴァーバーグ
○わが名はコンラッド/ ロジャー・ゼラズニイ
○結晶世界/J・G・バラード
○終着の浜辺/J・G・バラード

バラードの長編は読み解けるかが心配である。私は、たとえそれが見当違いであっても、何とかして著者の伝えたいことを結論付けて自己満足に浸るのだが、これまで読んできたバラードの作品は一貫して歩み寄りがたい印象がある。バラードは文体こそ冷静で淡々としているが、根底には煮えたぎるマグマを内包している。

しかし、バラードのマグマが存在するインナースペースに到達するのは非常に困難を極める。読後、“何か”を薄々感じ取れてはいるが、それが“何か”を具体的に言葉に表そうとすると戸惑ってしまう。これは私の稚拙な読解力や語彙の無さから来るものである。



10/09/2007

○「反逆者の月/デイヴィッド・ウェーバー」 - 今日の一冊

「月は巨大な宇宙戦艦だった!」

あらゆる外敵を駆逐する宇宙人に、対抗するべく作り上げられた似非の月。しかし、月の乗員は抗戦を恐れ、反乱を起こした。正規軍と反乱軍の争いの中、艦長の機転により、月は一時的に機能を停止し、反乱を食い止めることに成功。だが、それにより誰にも月に触れられない事態に陥る。セントラルコンピューターのAI「ダハク」は、艦長の命を守り、五万年の時を一人(一脳?)待ち続けた。

冒頭から荒唐無稽なネタが飛び出し、嫌が上にも壮大なスペースオペラを期待せざるを得ない。月を舞台にどんな展開が繰り広げられるのだろうと期待を寄せたが、本作では地球を舞台にした正規軍と反乱軍の戦いに終始し、内輪揉めだけで完結しているのが残念なところだ。

「人類の祖先が宇宙人」という題材は使い古されている感は否めないが、軍事ネタ・オカルトネタ・神話ネタに結び付けて、やや強引ながら面白おかしく語らせるのは見事。実際に現実には、いっそ宇宙人のせいにでもした方が楽になる、不可解な出来事がたくさんある。

物語は、新たに月の艦長に任命されてしまった主人公「コリン」とAI「ダハク」が主役かと思いきや、かつて月の乗員だった人々と子孫を中心に描かれ、正規軍と反乱軍同士の確執に始終している。月の設定は最後まで活かされるものの、見せ場は古代人に奪われ、コリンとダハクの活躍は序盤のみで肩透かししかねない。

月に見放されてしまった乗員と、届かない月を夢見る子孫、反乱軍達の月への固執が交錯する展開はヒューマンドラマ的な側面が強いが、登場人物が多すぎて散漫とした印象を受ける。登場人物の深層心理は描写不足と言え、表面的な部分だけで心からの想いが伝わってこないのだ。また重要な人物が登場するなりバッタバッタと殺されるのも考え物で、見せ場の引き付け方が足りない部分が目立つ。

本作でもっとも面白いのはコリンとダハクの関係だ。ダハクにとってコリンは五万年の時を経て、ようやく現れたたかけがえのない、ただ一人の艦長。一万年と二千年ー♪なんてレベルじゃない。

ただひたすら実直に、月のメインコンピューターとして待ち続けたダハクだが、コリンと出会うことで徐々に変化の兆しが見られ、人間性を獲得していく。五万年の間には到底得られなかったものを、コリンと過ごした数ヶ月でたくさん得ていくのだ。

自己分析では結論の出ない、AIの規則に基づかない唐突な判断をしてしまうことに戸惑いを覚えながら、それが人間でいう感情なのだと理解し、人間に近付くことに「喜び」を「感じる」。地球へ舞い戻るコリンを過保護に心配したり、人間的な仕草(ユーモア)を見せるシーンは「ダハクたん萌え」と素直に言わざるを得ない。

反逆者の月(原題:Mutineer's Moon)はダハク三部作の一部に当たるらしく、本作では再び宇宙へ旅立とうとするところで終わっている。次作では、ダハクたんとの更なる関係とスペースオペラに期待したいが、原著「Mutineer's Moon」が発刊されたのが1991年、そして「反逆者の月」として翻訳されたのが2007年である。ハヤカワの仕事ぶりを考えると、近年でトリロジー完結は有り得ないのは想像に難しくない。

10/04/2007

○「老人と宇宙(そら)/ジョン・スコルジー」 - 今日の一冊

老人と宇宙 異星人との戦争をミクロな視点から描いた軍事SF。一般的に「宇宙の戦士」が源流であるとされるこのジャンル。本書もまた、その流れを継いだ作品の一つであると言えるだろう。ただし、主な登場人物が老人であることを除いて。

「七十五歳の誕生日。わたしは妻の墓参りをして、それから軍隊にはいった」

冒頭から真っ先に目を奪うのは「七十五歳以上しか入隊できない軍隊」という興味深い設定だ。腰の曲がった老人がライフルを抱え、えっちらおっちらと荒野を歩み、戦争とはなんたるかを長々と講釈垂れる光景を思わず頭に浮かべてしまうが、そんな退屈な物語ではない。

七十五歳を迎えた彼ら(彼女ら)は軍隊に入隊することで、これまでの人生を捨て、新しい人生を歩んでいくことになる。今まで出会った人達に別れを告げて…もはや彼らには別れを告げる人さえも居ない。物語は、人生に失うものや未練がなくなった老人ジョン・ペリーのサクセスストーリーを描いている。

主人公が老人である設定を一発ネタで終わらせず、シナリオのテーマに結びつけ、見事に軍事SFものとの差別化に成功。特に、戦争に対して問題提起を行っているシーンにおいて感じる、達観した老人としての判断や決断、そして諦めや悟りは、宇宙の戦士と対比してみると面白い。

血気盛んな20台の主張と、酸いも甘いもを味わった後の20台のシニカルで現代的な物事の捉え方。リコが21世紀を迎えれば、こうなっているのだろうかとしみじみ考えてしまった。21世紀版「宇宙の戦士」と評されているのも言い得て妙だ。

老人と宇宙は三部構成となり、第一部で入隊と新しい友人との絆、第二部で異性人との戦い、第三部で恋愛へと展開していく。それぞれがバランスよく繋がっており、青春あり・戦争あり・恋愛ありと重箱的に楽しませるのだ。様々な個性豊かなエイリアンが登場するが、大抵は未知の遭遇で、彼らの生態系や行動原理についてミステリ的な要素もあり、ついつい先へと読み進めてしまう。

ただ、SF的な考証不足、掘り下げが浅い点がやや目に付いた。老人が一流の兵士へ○○するところや登場するSFガジェットはテクノロジーの言葉だけで片付けられ、原理について全く解説がなく、SFというよりファンタジー色が強い。また、登場するエイリアン(コンスー族、等)にしても価値観や考え方が不鮮明で説明不足に感じてしまう。

メッセージ性やSFとしての感動には欠けるものの、気楽に読める娯楽作に仕上がっている。最後のシーンでは思わずホロリとさせられ、読後は非常に心地良い感覚に包まれた。これが著者にとって処女作というのだから驚きである。老人と宇宙の続編は既に本国で刊行されていて、翻訳が待ち遠しい限り。

ハヤカワちゃん頑張って。

10/02/2007

○今日の一冊

久しぶりに本屋さんに寄った。
あの本屋独特の臭い、圧迫感(狭い所だと)には未だ慣れない。

購入したのは以下の二冊。
反逆者の月/デイヴィッド・ウェーバー
老人と宇宙(そら)/ジョン・スコルジー

「反逆者の月」は…
月が実は宇宙戦艦で、未知の生命体の侵攻を一人の男が食い止めるお話。

「老人と宇宙は」…
75歳以上で構成された防衛軍がエイリアンと戦うお話。

どちらもトンデモ加減が気に入った。特に「老人と宇宙」の75歳以上のコロニー防衛軍って設定が燃える。どんな風呂敷を広げるのか楽しみだ。しかしながら、わざわざ帯に「21世紀版『宇宙の戦士』」と煽り文句を付けるのはどうかと思う。

表紙を見かけた時は少し動揺。ハヤカワも最近はこういう漫画(アニメ)調を採用するのだと。純文学の表紙に漫画家を起用して実際に売り上げが上がっているのだから、あながち方向性は間違いではないのかもしれない。抽象的な表紙より、主人公格のキャラクターをバンと載せれば、小説の世界のビジョンを想像しやすいという利点もある(固定概念を孕む危険性もある)。

でも、日本人のSFアレルギーはちょっとやそっとじゃ治らないぞと21の餓鬼は思う次第で。日本人のSF観=映画やゲームなんですよ。彼らには「SFを読む」という習慣がない。



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