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10/09/2007
○「反逆者の月/デイヴィッド・ウェーバー」 - 今日の一冊
「月は巨大な宇宙戦艦だった!」
あらゆる外敵を駆逐する宇宙人に、対抗するべく作り上げられた似非の月。しかし、月の乗員は抗戦を恐れ、反乱を起こした。正規軍と反乱軍の争いの中、艦長の機転により、月は一時的に機能を停止し、反乱を食い止めることに成功。だが、それにより誰にも月に触れられない事態に陥る。セントラルコンピューターのAI「ダハク」は、艦長の命を守り、五万年の時を一人(一脳?)待ち続けた。
冒頭から荒唐無稽なネタが飛び出し、嫌が上にも壮大なスペースオペラを期待せざるを得ない。月を舞台にどんな展開が繰り広げられるのだろうと期待を寄せたが、本作では地球を舞台にした正規軍と反乱軍の戦いに終始し、内輪揉めだけで完結しているのが残念なところだ。
「人類の祖先が宇宙人」という題材は使い古されている感は否めないが、軍事ネタ・オカルトネタ・神話ネタに結び付けて、やや強引ながら面白おかしく語らせるのは見事。実際に現実には、いっそ宇宙人のせいにでもした方が楽になる、不可解な出来事がたくさんある。
物語は、新たに月の艦長に任命されてしまった主人公「コリン」とAI「ダハク」が主役かと思いきや、かつて月の乗員だった人々と子孫を中心に描かれ、正規軍と反乱軍同士の確執に始終している。月の設定は最後まで活かされるものの、見せ場は古代人に奪われ、コリンとダハクの活躍は序盤のみで肩透かししかねない。
月に見放されてしまった乗員と、届かない月を夢見る子孫、反乱軍達の月への固執が交錯する展開はヒューマンドラマ的な側面が強いが、登場人物が多すぎて散漫とした印象を受ける。登場人物の深層心理は描写不足と言え、表面的な部分だけで心からの想いが伝わってこないのだ。また重要な人物が登場するなりバッタバッタと殺されるのも考え物で、見せ場の引き付け方が足りない部分が目立つ。
本作でもっとも面白いのはコリンとダハクの関係だ。ダハクにとってコリンは五万年の時を経て、ようやく現れたたかけがえのない、ただ一人の艦長。一万年と二千年ー♪なんてレベルじゃない。
ただひたすら実直に、月のメインコンピューターとして待ち続けたダハクだが、コリンと出会うことで徐々に変化の兆しが見られ、人間性を獲得していく。五万年の間には到底得られなかったものを、コリンと過ごした数ヶ月でたくさん得ていくのだ。
自己分析では結論の出ない、AIの規則に基づかない唐突な判断をしてしまうことに戸惑いを覚えながら、それが人間でいう感情なのだと理解し、人間に近付くことに「喜び」を「感じる」。地球へ舞い戻るコリンを過保護に心配したり、人間的な仕草(ユーモア)を見せるシーンは「ダハクたん萌え」と素直に言わざるを得ない。
反逆者の月(原題:Mutineer's
Moon)はダハク三部作の一部に当たるらしく、本作では再び宇宙へ旅立とうとするところで終わっている。次作では、ダハクたんとの更なる関係とスペースオペラに期待したいが、原著「Mutineer's
Moon」が発刊されたのが1991年、そして「反逆者の月」として翻訳されたのが2007年である。ハヤカワの仕事ぶりを考えると、近年でトリロジー完結は有り得ないのは想像に難しくない。