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05/24/2008

Armed Assault - 愛に胸焦がし 多摩まで

高校時代にパソコンの授業でインターネットを使った時のこと。
みんなが自分の好きなエロゲやショタのページを見てる時に、
自分だけこれみよがしにARMAのファンサイトにつないで画像や動画を周りに見せてたこと。
しかも友達に「このページって何?」って聞かれた時に「世界で秘密裏に行われている戦争の情報」とか答えたこと。

さらに友達を家に招待してARMAをやらせようとしてARMAを起動した瞬間に、
そいつの耳元で「Welcome to Real War」ってささやいたこと。



装甲車やヘリを使用するミッションも登場。ヘリの操作は思っていたよりも意外と簡単だ。マウスでも普通に操作出来るようになっている。正直BF2なんかの方が難しい気がするのだがどうか。ただし、攻撃まで一人でこなそうとするのは困難だ。AIに任せるなりした方が無難だろう。幸いなことにARMAのAIは命令を正しく理解してくれるお利口な頭を持っている。

ARMAの特色は一介の兵士としての戦場体験に加え、指揮官としての部隊マネージメントにある。ヘリにしても、装甲車にしても、ドライバーだけでは機体の性能を引き出せない。ドライバー、ガンナーが居て初めて機体の性能をフルに活かせるのだ。そして、仲間達と連携していくことで、一人では不可能な戦術も可能になる。

ARMAは仲間の有り難さと命の儚さを切実に描き出しているゲームだ。我々にとって非日常的である戦場を極めてリアル(現実の戦場はこんなのだろうという予測の意味)に体験させてくれる。

もちろん何でもかんでもリアルを追求すればいいってものではない。あくまでゲームとしての体裁(面白さ)を守るのならば、端折られるべきリアリズムや制約は必要である。戦闘中に延々と弾をつめたり、戦闘後は使用した弾薬を数え続けるゲームなんて面白くないだろうし、そんなのは誰も求めてはいないだろう。

ARMAは一介の兵士としての体験、指揮官としての部隊マネージメントに焦点を当て、ゲームとして破綻しないリアリズムを現時点の出来る範囲で追求したFPSである。それはつまり、どこから飛んでくるかも分からない弾が一発でも当たれば即死してしまうリアリズムを取り入れたとしても、しっかりとルールを練りこみ、プレイヤーが納得できる説得力を内包していればゲームとしてきちんと成立することを証明している。

大衆迎合を求めてトレンドを無節操に取り入れた挙句に方向性が定まらないスカトロジーが蔓延する昨今、我が道をひたすら突き進んで唯一無二な味のあるゲームを開発するBohemia Interactiveの職人ぶりには惚れざるを得ない。



兵士として主観的に体験する現実。TVニュースなどで客観的に伝えられる現実。前者にしても、後者にしても、どちらも現実の姿を映しているに他ならない。しかし、結果的に映し出される映像は異なるものとなる。映す角度が異なれば、記録される映像も異なるのは当たり前のことだ。

異なる現実と現実のせめぎ合いによって生まれる、皮肉な現実感。二律背反した体験を同時に味わわせてくれる点もARMAならではと言えるだろう。