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01/24/2008

STALKER - もし願いが叶うなら


・サイキックの例のヤツ

今日はミリタリーからアタッシュケースを奪取。苦戦すると思いきや、草に隠れながら攻撃すると一方的に倒せてしまった。あまりに楽に攻略出来たのでやや拍子抜け。室内戦とは大違いだ。

トカレフ、ベレッタはリコイルが大きくて、ハンドガンプレイは辛いという印象があったが、SIGはリコイルが抑えられていて結構通用する。今までベレッタを下げていたが、これからはSIGを主力装備にしよう。おまけに威力もハンパなく強い。SIGの痛いところは弾数不足に陥りやすいところだ。序盤で45ACP弾を使ってくる敵がほとんど居ないため、補給が出来ない。Trader MODを入れているので購入は出来るものの、旅の途中で尽きてしまった時の事を考えると不安に襲われてしまう。

SIGでパンパン撃ちながらヘッドショットをキメるのが気持ち良い。初回プレイ時はライフル用スコープを手に入れた頃から面白くなってきたと記憶しているが、それに慣れてしまった今はアイアンサイトでの銃撃が新鮮に感じられる。確実にヒットするとは限らない、このアバウト感に手応えを覚えるのだ。アイアンサイトでヘッドショットをキメた時のしてやったり感はスコープとは比べ物にならない。スコープを使ってしまうと百発百中、簡単に当たり過ぎるきらいがある。

PCゲームの醍醐味の一つにシャープシューター性の強さがある。いわゆるタクティカルアクション系のゲームで採用されるスタイル。遥か遠くに見える米粒ほどの大きさの敵を狙い撃ち、見事に的中した時の爽快感は計り知れない。私の大好きなスタイルの一つであり、PCゲームの専売特許と言っていい要素だ。

このスタイルはマウスを使った緻密でいて繊細なエイミングによって実現されるものであり、精密なエイミングがままならないパッドでは到底無理な話。得てして家ゲー用に作られたゲームは大雑把になり過ぎるきらいがあり、私はそのような大味なゲームが虫唾が走る程に嫌悪して止まない。昨年はそういったゲームが氾濫し、思わずズッこけた…というよりズッこけたまま立ち上がれない有様だった。

テキトーに撃ってれば勝手に弾が当たるオートエイム、バカみたいにデカイ照準に敵を入れればヒットしてしまうサークルシューティング。過剰すぎるサービス、お膳立てによって銃撃の爽快感や緊張感は全てスポイルされ、プレイしていて不快感しか残らない。家ゲーの人の発言に「敵に攻撃が当たらないとイライラする」というものがあるが、自分の腕を磨いて当てる、当ててやるからこそシューティングゲームは面白いのだと言いたい。

なんでもかんでも攻撃が当たるのが爽快、面白いと言うのなら、画面に表示された敵に勝手に照準がセットされ、プレイヤーはトリガーを引くだけのシューティングゲームが最適だ。そんなものをシューティングゲームと呼ぶのもおこがましいが。

確かに慣れていない人向けに、そういうお膳立てはあった方がいい。誰しも始めはFPSの操作に戸惑いがあるだろうし、徐々に慣れる為には必要なシステムだと言える。しかしながら、家ゲーの大半がそういったゲームばかりが氾濫しているのは考え物であるし、それでないと家ゲーではヒットしないというのならPC向けに販売する際に少しは調整を加えて欲しいと願う。

画面の中心をドデンと居座るクソデカイ上に大きさを変えられない照準、切れないオートエイムなどはその最もたる所以。調整をせずに、そのままコンバートしたテキトーな移植は褒められる行為ではなく、ユーザーに不信を与えるばかりだ。昨年はそういったゲームが溢れ、挙句に致命的なバグを放置したままパッチさえ出さない愚作もある始末だった。ゲームの出来云々の前に姿勢がスカ○ロ極まりない。

別に家ゲー用に合わせて規模が縮小されたとか、劣化したなど管を巻いてマルチプラットフォームを批判するつもりは毛頭ない。そんなのは勝手な誇大妄想、被害妄想であり、ただ難癖を付けたいだけの愚か者の戯言に過ぎない。しかしながら、製品として販売した以上は必要最低限のサービスはあって然るべきであり、する必要性があるが、マルチプラットフォームのタイトルというものは販売したら後は放置するような無責任な姿勢が多く見られる。この点に関しては非難されても致し方ないだろう。

私の中でマルチプラットフォーム=不誠実という印象が日に日に強くなるばかりだ。販売してやっている的な殿様商売っ気が汚らしい。


・願望機届いた。

私は路傍のピクニック(邦題:ストーカー)は未見であり、どれだけ差異があるのかは分からない。

学者、教授、作家が登場し、哲学的なことを話ながらゾーンを進行する描写、ガイドであるストーカーの環境(病気の娘や妻が登場するところ)だったりと設定はタルコフスキーの映画ストーカーに近いと言える。願望機は映画ストーカーの没シナリオということだが、路傍のピクニックの内容を伝聞で知る限りはよっぽど願望機の方がモチーフとしては近いように思える。

描写は最低限で簡潔に示されている。ゴチャゴチャしたような表現が少なく、極めてシンプルで整然な文体。対してダイアログが非常に多く、少しビックリ。レムのような印象を勝手に抱いていたが、そんな傾向は全く見られない。

願望機、スプーン五杯の霊薬の二作を収録し、計200頁。
数十ページをめくった所で目がしょぼしょぼしてきた。文字は結構大きいのだが疲れ目にはこれでも辛い。休日にでも読もう。


願い事が叶うという願望機。一つ叶うとしたらなにを願うだろう。

やっぱ姉かな…お姉ちゃんかな、やっぱり。