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11/16/2007

Call of Duty 4 - アトラクションゲーの新境地を垣間見た

Call of Duty4を開始。
CoD4は舞台を現代に移し、グラフィックを強化、あくまでCoD2の延長線上にあるものと思っていたが、それは一部当たっていて、一部外れていた。

仲間と戦場を駆け抜け、時に銃撃戦を楽しみ、時に大仰な演出を鑑賞する。このスタイルはこれまでのシリーズが貫いてきた伝統であり、CoD4もその血を濃く受け継いでいると言っていい。しかし、CoD4では演出に比重が極端に偏向している所が、過去作と違う点だろう。



CoD4で仲間と共に銃撃戦を繰り広げるシーンは、FPSというジャンルの形式上の儀式として存在しているのみ。その代わり、演出にウェイトが置かれている。というより、CoD2で間延びしていた戦闘を大幅にカットしたと言った方が適切かもしれない。

それによりシューティングゲームをプレイしている感覚が薄く、演出を鑑賞するゲームをしているような感覚に襲われてしまう。シューティング要素は添え物で、まるで主役はアトラクションであるような主従の逆転を感じるのだ。もはやこれは、ファーストパーソン“シューティング”と呼んでいいのか、存在意義を考えさせられる。

CoD4はFPSなのか。シューティングゲームをしている感覚が薄くて、FPSたりえるのか。開始当初、FPSと呼ばれている概念の存在肯定と否定が頭を巡った。



しかし、ゲームを進める内に、その疑問は一つの答えに辿り着く。これは紛れもなくFPSなのだ。シューティングの合間に演出が挿入されるのではなく、演出を鑑賞する為にシューティングをしていようと、それはFPSなのである。

CoD4には、「これはシューティングゲームなのか」という“懐疑心”を屈する“説得力”があり、疑問や違和感さえも吹き飛ばし、「こういうFPSがあってもいいんだよ」と納得させる力がある。巧みに視線誘導して、引きずり込んで離さないドラマティックな怒涛の光景の数々。それらにプレイヤーは弥が上にも没入してしまい、もはや首を縦に振らざるを得ないのである。

逆に言えば、CoD4の演出は、これまでのFPSに登場した“演出”と呼ばれるものを一瞬で陳腐なものに変えてしまう程の、超越した力強さを持っていた為に、演出が先行し過ぎていると感じられたのかもしれない。ここまでキメ細やかに作りこまれた空間を、私は味わったことがない。それがゆえに演出が放つ、強すぎるインパクトが頭に焼き付いて離れず、シューティング要素が薄い演出過多なイメージがまとわりつくのではないか。



ゲームにグラフィックの進化は必要か否かという議題を、度々目にすることがある。

ゲームにグラフィックという要素は時に必要なものであり、時に不必要なものでさえあると、私は思う。それはそのゲームが最先端のグラフィックを必要とするデザインか否かで、往々に変わってくるものだ。

CoD4のスタイルで言えば、間違いなく最先端のグラフィックが必須のものであったと言えよう。最先端の技法を用いて、世界を構築することで、高い臨場感や没入感を生み出す。それにより、プレイヤーに高品質な演出を提供することが出来るのだ。良い意味で、演出多用アトラクションゲームのCoD4には、それが必要不可欠な要素であった。



まだ、序盤であり、上記では断言してしまっているが、これは絶対的なものではないので誤解なきよう。「演出だけのスカトロゲーでした、本当に…」と叩き落す可能性だってある。チェルノブイリはいつ頃、現れるのか。wktkが止まらない。