「 ADV 」一覧

Meadow – ケモノになりました

セールの時に安かったのでこうたMeadow。動物になってエッセンスを集めたり、他のプレイヤーとキャッキャしながらまったり過ごす癒やしゲーです。

テキストチャットはなく、エモートや身振り手振りでしか自分の思いを伝えられないのでアメリカ語やイギリス語ができなくても大丈夫。尊厳損傷モードにやるといいと思います。他のプレイヤーとエッセンスを集めるだけなんですけどダラダラとやっちゃう魅力がありますね。


バイアグラ男言い過ぎ定期。オチまで付いて普通に面白いからすごい。


Alan Wake’s American Nightmare – ごめんなさい許して下さいありがとう愛しています(クリア)

3時間半でクリア。本編と整合性が取れていないような表現もあるがここはどんな出来事でも起こりうるナイトスプリングス。アランの葛藤が心象世界で繰り返されていると解釈するのがベターだろう。三つのマップを三度繰り返し、同じようなことを繰り返すことになるが一度経験したことは省略される為、同じようなことをやっているんだけどどこか違うという差異が妙な気分にさせる。前のタイムラインとは異なった展開が起こるので次はどうなるのだろうと期待させ、ループ構造がアセットをうまく再利用している。短い間隔に新たな展開と戦闘が詰め込まれているので飽きさせず、一気にプレイさせる魅力があった。

本編の戦闘は出し惜しみのような小規模な戦闘が延々と続き、途中で飽きてしまうほどだったが、本作では色んな武器がどんどん手に入り、弾薬も補給できるので気兼ねなくドンパチできる。さらに原稿の発見数が強い武器のアンロック条件になっている為、隅々までマップを探索して物語を追うこと(原稿を読む)ことでドンパチがさらに楽しくなる仕様。本編よりもシステムの組み込み方がうまい。

サイコマルマイン的観点から本作を解くとするならこれは自己受容、他者信頼、他者貢献の物語と言えるだろう。本編でアランは妻のアリスを救うために小説を書き続けた。その結果、アリスを救うことはできたもののの、アランは闇に囚われたままで答えを見つけられないままループを繰り返している。闇の親玉であるミスタースクラッチはアランの別の姿で、精神の均衡が崩れればアランはあのような悪人へと変わる可能性がある。ミスタースクラッチはスランプから抜け出せない劣等感、再びベストセラーを書きたい理想とスランプに陥った現実の乖離が生み出した悪しき存在であり、最終的に彼を消し去るにはありのままの自分を受け入れる勇気、つまり自己受容が必要だった。

アリスはアランが失踪した後も彼のことを思い続け、アランを主人公にした短編映画を撮った。これは現実で本当にあった出来事なのかは分からない。アランはスランプに陥っているがアリスは写真家として社会的に成功している隠喩なのかもしれない。自分は小説を書けなくなったのに妻は人々に賞賛されるような作品を作っている。この事実はプライドが高かったアランには受け入れづらい現実だったかもしれない。しかし、アランは一連の出来事を通して、アリスがベストセラー作家のアランではなく、一個人としてのアランを心から愛してくれていたことを認識する。アリスを心から受け入れ、賞賛し、信頼し合える関係を再構築したことで心の闇を消し去ることができた。サイコマルマイン的三種の神器が闇から抜け出す答えだったのだ。

街 ~運命の交差点~の市川は純文学を書きたいと願うものの低俗な小説をいつの間にか書いてしまい、自己矛盾に悩む。ミザリーのポール・シェルダンは自分が書きたい小説とファンが求める小説の乖離に苦しむ。Alan Wakeも作家と作品をテーマにした物語ではあるものの、最終的に救済できたのは彼が仕事よりも家族を優先したから、かもしれない。生きていくためには仕事をしなくてはならない。しかし、成功ばかりを追い続け、その反動で周りに苦しみをばらまくよりもまず家族を愛すること。身近な人間をまず幸せにすること。そのことに気付き、ベストセラー作家という特別な存在にこだわらなくても普通でもいいんだと受容できたから人としてのハッピーエンドを掴めたのではなかろうか。

褒められたい。賞賛されたい。特別な存在でいたい。他人が自分にできないことをやっていると嫉妬する。他者を安易に馬鹿にしたり、貶めたり、YouTuberに罵詈雑言を投げかけたり。ネットで手軽に情報発信できる現在、そういった醜い行いをついついやってしまうが幸せになるには特別ではない普通の自分を認め、他者と真摯に向き合うことが大切なのかもしれない。人はそれぞれ異なるが対等である。できること、できないことがあって当然。すごーいものはすごーい、たーのしーものはたーのしーと素直に心から想うこと。承認欲求を満たすよりも他者を素直に受け入れたり、リスペクトすることの方が気持ち良いのではないか、とけものフレンズを見ながら最近考えてます、自分の中では。


宇宙の法則が乱れる

風邪で寝込んでから無気力状態が続き、帰宅したらけものフレンズを何回もリピートして寝る生活になっているのでリハビリも兼ねてAlan Wake’s American Nightmareをプレイ。リソースの少なさをシナリオで補っていて、なおかつ同じ舞台ながら少し展開を変えることで変化も感じられる。同じマップでループして、正しい答えを見つけていくことになるのだが一度済んだことは端折られるのでテンポよく感じられ、進行が気持ち良い。

バタフライエフェクトというかまどかマギカ的なループ体験をアクションゲームの文法でやるとこうなるという感じで、さらに登場するNPCもループしたことを理解していて今度は死なないようにこうしようとか、こうしといたら進行楽になるからもうやっといたわと協力してくれるのが新鮮なところか。出てくるNPCが全部女で寅さんとか釣りバカ的な展開になってるのは男が抱くヒーロー像を具現化した感じなのかな。

本編は小規模な戦闘と間延びした一本道アドベンチャーの組み合わせでテンポが悪く感じたが、今作は自分のペースでマップを自由に探索でき、敵との戦闘が多く、弾薬も特定の場所で補給できるので気兼ねなくドンパチできる。本編の戦闘は単調でうーんという感じだったのだが出し惜しみが酷かったのだなと思った。

物語のテーマは人間の闇や自分の弱さとの戦いという感じで本編よりも焦点が絞られていて入りやすい。成功体験にすがりつくのではなく、ありのままの自分を受け入れて(インディゴ)、妻と支え合ってイキたいというテーマで共感しやすい。悪役として登場するミスタースクラッチは金暴力SEXの権化のような分かりやすいキャラクターで、実写とゲームの融合した感じが90年台のマルチメディア体験を思い出させる。金銭的な意味ではなくて、雰囲気的な意味でB級的なんだけどそこがいいんだよ。これはそこまでダラダラ長くないだろうし、本編よりも的が絞られてていいかもしれないなぁ。


フレンズの力で120万再生ほんと草生える。一話放送時は今期最低、クソアニメの連呼だったのにすごすぎるんだよなぁ…。確かに一話だけだと楽しみ方が分からず、かなりキツイので最低でも三話、四話くらいまで見ないと厳しいかなと思います。一話でなんだこれと思わせて、二話で世界観を説明して、三話でどんでん返しする虚淵メソッドなんかなぁ…。UNKさん的にはボスがフレンズと全く会話せず、かばんちゃんとしかコミュニケーションしないところやツチノコがかばんちゃんを見て「あいつ絶滅してなかったのか」と呟くところで「うわ…これセンスオブワンダーやわ」と感じました、自分の中では。SFの匂いがするとこがいいです。


私がウォーキングシミュレーターを愛する理由

みなさんはウォーキングシミュレーターというジャンルをご存知だろうか? The Graveyard、Dear Esther、Gone Home、The Vanishing of Ethan Carterと聞けばピンと来る人もいるかもしれない。大雑把に説明すると「戦闘が存在しないゲーム」である。うん、ちょっと語弊があるかもしれない。まぁジャンルの定義付けは各々に任せるとして…。

ウォーキングシミュレーターという名称はThe GraveyardやDear Estherがリリースされた頃から頻繁に耳にするようになった。誰が言い出したのか定かではないが元々は「散歩しているだけでクリアできるゲーム」を揶揄したり、「ゲーム要素が薄いゲーム」を馬鹿にするような意味合いで使われ出したのではないかと想像している。

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ウォーキングシミュレーターに該当するゲームが過去に無かったわけではなく、昔から存在していた。その頃はアドベンチャーや探索ゲーと呼ばれたり、あるいはドリームエミュレーターなどと各メーカーが勝手に付けた名称で呼ばれていた。Dear Esther以降、ウォーキングシミュレーターが爆発的に増えた理由は以下が考えられる。

1.ゲームエンジンの民生化
2.DL販売の普及
3.低予算でテーマを絞れる

インディーメーカーの台頭とかぶる部分が多いのだがUnityやUE3(UDK)が小規模なチームや個人向けにエンジンビジネスを始め、DL販売が普及したことによって誰でもゲームを作って販売できる下地が整った。ウォーキングシミュレーターは戦闘やAIなどが不要なので開発の負担が少なく、個人で作れるのでニッチなテーマを扱うことができる。

ウォーキングシミュレーターは戦闘や駆け引き要素を省いた結果、物語や体験性に注力でき、少ない資本でディープな体験を与えることができるというインディーメーカー向けのジャンルだった。The GraveyardやDear Estherは良い意味でも悪い意味でも考えさせる作品で「こんなものを売ってもいいのか…というか、こういうのを作りたい!」とゲームプレイヤーたちに与えた影響は大きいのではないだろうか。

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私は2000年前後頃からずっとFPSを追い続けている。私がこのジャンルに魅了されたきっかけは深い没入感と射撃が好きだったからだ。主観視点でしか味わえない実在感や爽快な銃撃戦の虜になって以降、FPSをずっとやり続けている。FPSはシューターとしては最高のジャンルだが物語が足りない。もっと心が震えるような物語が欲しい。ゼロ年代はそんな風に考えていた。

しかし、ウォーキングシミュレーターと呼ばれる作品をプレイしていく内に物語とシューターの両立は難しいと実感し始めた。どんなに物語がよくできていても銃撃戦や戦闘が合間に入ることで中途半端な結果になってしまう。こっちは銃撃戦を楽しみたいのに演出やカットシーンが邪魔してゲームプレイを分断されたり、物語を楽しみたいのに水増しされた戦闘によって無駄な時間を費やし、何十時間もやっていたら物語を忘れてしまう。

どっちも両立するのは難しく、心に刺さるものを作るには一つに絞った方が良いという答えに落ち着いた。もちろんそこをうまく両立させているものも中にはある。中にはあるものの、一つに絞った方が良い結果になるだろうと個人的には考えている。

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それに銃撃戦を昔ほど欲することが無くなってしまった。昔はあれだけ撃ちまくってたのに最近はそうでもない。撃つ時間があるのなら他のウォーキングシミュレーター、物語を楽しみたいという方向に移っている。これはウォーキングシミュレーターに心に残るものが多いという経験からそうなってしまったのではないかと思う。プレイしてなにも残らないシューターには魅力を感じなくなったのだ。

大作ゲームは大状況(大きなテーマ)を描きたがる。どこかから敵が攻めてきて、人類や世界の危機が訪れたという設定ならドンパチも描きやすい。しかし、日々、日常を生きる我々にとって人類や世界の危機は身近と言えるだろうか。それよりも小状況(小さなテーマ)的な自分の存在価値、明日の食費、家族、人間関係の方が方がよっぽど身近で共感しやすくないだろうか。

戦闘という制約から逃れたウォーキングシミュレーターは小状況をピンポイントで描くことができる。それにうまく共感できれば心に強く残る。個々の作家性が強く出ているからこそ面白い。そこがウォーキングシミュレーターの魅力なのだ。感傷的な気分に浸りたい時はDear Estherを、恋愛に悩んでいる人はGone Homeを、好きな物に夢中で夢を持っているが周りに理解者がいない人はThe Vanishing of Ethan Carterを、親子や家族の問題に悩む人はFirewatchを、承認欲求と友達に飢えている人にはThe Beginner’s Guideを。ウォーキングシミュレーターは心に残る体験を与えてくれる…かもしれない。

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会社の中から開始するんだけど会社内をうろついてカメラやヘルメット探したり、車のキーもらったもののどこなのだよ…と迷ったり、日常のあるあるネタがパズルになっていて、いい感じっすね。オブジェクトの作りもわりと細かいし、進行に関係ない部屋もいろいろと用意されていたり、丁寧に作られている印象がありますねぇ。

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Dreadout – つらくたのしいインドネシア旅行(クリア)

5時間でクリア。なぜスマホで幽霊をカシャカシャ撮ったらやっつけられるのか。リンダはいつ霊的な力に目覚めたのか。そういった素振りや説明が一つもなく、「零(FATAL FRAME)に影響を受けたゲームやから写真撮ったら霊を倒せるんやで」という甘えというか、プレイヤーに暗黙の了解を求めているような感じがもったいない。

リンダはこの事件に巻き込まれることで霊能力に目覚めたとか、霊は写真に写ると魂を取られるというようなカットシーンや会話がほんのすこしでもゲーム内に入っていれば作品への入りやすさも違ったものになったかもしれない。インドネシアの幽霊はスマホでカシャカシャすれば除霊できるのが当たり前というのなら土下座するが絶対そんなわけないわけで、そんなことで除霊できたら悪霊なんて絶滅しとるぞ。

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Dreadoutでは連射可能なスマホにノイズが入った瞬間に撮影すれば霊にダメージが与えられるという仕様になっている。このスマホにノイズが入る距離が敵毎に違い、近くで鮮明な状態で撮影してもダメージを与えられないものとか、かなり遠距離で撮影するとダメージを与えられるものだとか、判定がはっきりせず、しっくりこない。

零には射影機という悪霊を封印できるカメラがあって、霊をギリギリまで引き付けることで与えるダメージが大きくなるという分かりやすい基本ルールがあったがDreadoutにはそのルールは適用されていない。しかも、敵のスピードが零よりも早く、狭くて動きづらい不利な地形でボスと戦わさせられたりする。いつノイズが入るかのが分からないので敵をファインダーに収めつつ連射しまくるのが定石という感じでこのへんのプレイ感覚は荒削りという印象が否めない。例えば、敵にピントが合わないとダメージが通らないというルールならまだ分かりやすかったかもしれないし、カメラに敵を収めるという説明ができたのではないか。ピントは明らかにあってるし、被写体も収めているのにダメージ与えられないとか、そこがピンとこないんですよ。弱点持ちの霊はまぁ許せるとしても。

ゲームバランスに関しても古いゲームのようなクドさや理不尽さが目立つ。鏡像の幽霊をカメラに収めるといったユニークなパズルや戦闘も一部あるものの、大半は荒削りな戦闘が占める。最近の洋ゲーは本当に洗練されていて、遊びやすく作られているものが多いのだなぁという実感と共に、Dreadoutももう少し修正を加えたら…と思う部分はあるが、この古いゲームのようなウンザリ感というかクリアした時の山を越えた感じは最近の洗練されたゲームにはないもので懐かしさもあったりする。だが、もう少し雰囲気ゲーム寄りというか、遊びやすくした方が万人に受けただろうという思いもあり、プレイ中は色々な思いが混在した。

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といった具合に頭を悩ます部分は多い。減点方式なら大きくマイナスされてしまう点が多いし、粗を言い出せばキリがない。このゲームプレイやバランスなら途中でアンインストールしそうになるほど私にとって印象は良くなかったのだが、ACT1でゴーストタウンを訪れた時の異国情緒感、本当に東南アジアにこういう街があってそこへ迷い込んだような実在感に心を持っていかれて、それが忘れられなくて最後までプレイしてしまった。このシーンが無かったらきっとアンインストールしていただろう。私はこのゴーストタウンに粗削りでウンザリするゲームプレイを覆す程の衝撃を与えられたのだ。

これはちょうどSTALKERとかYou Are Emptyをプレイした時の感覚に似ている。本当に現地にはこういう景色があったんだろうな、そういう空気を肌で感じている人がレベルデザインしたんだろうなと思わせる真実味がDreadoutにもあった。やはり現地の人が作った現地の世界というのは実在感があって、もちろんその空間を作れる担当者のレベルデザイン能力も優れているのだと思う。テクスチャは昨今のものに比べると明らかに低解像度だし、なぜかフラットシェーディングのままの角ばったオブジェクトもあったりして、個々のオブジェクトは粗いのだが空間としての雰囲気や絵作りは心を持っていかれるものがあった。いくらテクスチャやマテリアルがよく出来ていても、空間作りがダメなゲームというものはあるし、どのようにアセットを配置して空間を構築するかという作業は私自身も本当に難しいものだと感じている。

最近はたくさんオープンワールドゲームがあって、作りこんだ世界を自由に行き来できるゲームが多いがそこに実在感があるか、その世界に心を奪われる瞬間があるかというとほとんど無い。アメリカやイギリスの定番風景を見飽きたのかもしれないし、元々その土地には私の興味はないのかもしれない。だけど、Dreadoutには心を奪われる瞬間が確かにあった。低解像度なテクスチャやローポリのオブジェクト、洗練されていないゲームデザインも相まって、まるで2000年前半のゲーム時代、コンソールならPS2やドリームキャストの頃に私もタイムスリップしたような懐かしさをゴーストタウンを訪れた時に感じたのだ。

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ホラーゲームにとって重要な幽霊というか化物というか、インドネシア産の怪物の造形がよくできていて、ホラーゲームや逃走ゲームなんかにマンネリ感を抱えている私でも思わずゾッとするようなおぞましい怪物がDreadoutには出てくる。日本のものとはちょっと違うのだが欧米産の化物よりかは親近感もあり、なおかつ心理的に来るものがあるという感じで、その化物たちに新鮮味を感じつつ、ギョッとする瞬間が何度かあった。

カットシーンや演出に関しては定番を守っていて、きっと開発者はホラー映画やゲームを愛しているのだろうと感じる。こうくるだろう、こうくるだろうと思わせて、やっぱりきたーという予定調和だけど欠かせないものがしっかり用意されているのだ。カットシーンやアニメーション作りは小さい開発にとって大きな負担になるだろうが、もっとこの世界を掘り下げるようなカットシーンがあればよかった、というか見たかったのが正直なところ。一番初めに言ったカメラや除霊のくだりなども含めて、雰囲気や臨場感を高めてくれる説明があればもっとよかった。開発にとって3Dの本格的なADV制作はこれが初めてだったようで垢抜けなさはもちろんあるのだが雰囲気作りに関しては本当によくできていて、これで開発がもっとこなれてきたらすごいものになるのでは…という期待が膨らんだ。

欠点やマイナスな部分があるし、手放しでは褒められない。クソ…と言ってしまいそうになる瞬間もある。減点方式でプレイする人や完成度を求める人にはつらい内容となるだろう。しかし、それに目をつむることができたら…多少は我慢して体験や雰囲気を楽しむものだと思い込んで遊べる人なら上質な旅行感を味わえる作品である。東南アジアのこういった雰囲気を味わわせてくれるものはなかなかないし、ありきたりなスプラッターホラーモンスターには飽き飽きだぜという人にオススメしたい。

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Her Story – Herってだれやねん(クリア)

8割程度閲覧して約3時間でクリア。ZorkのようなインタラクティブフィクションとLDゲームを今風にアレンジしたものというか、懐かしさと新鮮さが合わさったような独特のプレイ感覚があった。

プレイヤーは古いデータベースを使い、殺人事件の証言ビデオを閲覧していくことになる。しかし、ビデオは細切れにされており、検索して出てきた上位5つまでしか見ることができない。そのため人名+動詞で絞り込んだり、ビデオの中に出てくる単語を組み合わせて新たな証言を見つけ出し、真実を探っていくというシステム。

あーでもないこーでもないと単語を調べて組み合わせ、新しいビデオが出てきた時のワクワク感は選択型のアドベンチャーゲームでは味わえないものがある。検索サイトで目的の情報を探り当てた時の感覚にも近いかもしれない。重要な単語が出てきたらそれをクリックするだけのゲームではないのだ。自分で単語を打ち込む、この一手間が古臭いデータベースで本当に調べているかのような臨場感を与えている。

ただ、元々は英語のゲームであり、日本語化しても英単語でしか検索ができないのでネイティブの人に比べると色々と抜け落ちてしまうものがあるかなぁという感じは否めない。スペルミスして、あーこのビデオはないのかぁという思い違いをしたりする可能性も含めて。英語圏の人なら直感的にいけるものが非英語圏の人だとそうはいかないであろうというメタ的な思いや悔しさが常に頭の中にあったがまぁこのへんは個人的なものだろう。

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ビデオに出てくる女性は一体誰で、これはどんな殺人事件の証言で、この証言ビデオを見ているのは一体誰なのか。このゲームには何人ものHerが登場し、語られる。だが、それは情報の断片に過ぎず、どう構築するかはプレイヤー次第。その曖昧さがこの物語の醍醐味であり、昨今のウォーキングシミュレーターに通じるものも感じた。表向きは証言ビデオと見せかけて、実は…というもう一捻りある物語は火事で死んだ少年に近いものもあるかな。ミスリード好きな人は是非。

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