交通事故の影響によって、娘に性的衝動を感じるようになってしまう父親の話。前作は二人娘だったが、今作では四人の娘が登場する。娘はそれぞれ性格が異なり、前作よりも幅広い嗜好の人が楽しめそうだ。
「鬼父2」はもともと「鬼父2 ~あんたみたいな鬼畜、お父さんじゃない!~」というサブタイトルがついていたが、陵辱系ゲーム規制の流れによりサブタイトルが取り除かれたようだ。エロゲーらしいサブタイトル(変なタイトルがエロゲーの醍醐味の一つだと思う)がなくなったのは残念だが、販売自体に影響がなかったのは不幸中の幸いか。
表現の自由を抑圧しようとする昨今の流れには反吐が出る思いだ。このままこういうおかしな流れが進むと、本当に何もかもが規制されてしまいそうな危惧感を覚える。「表現の自由は憲法によって守られている」なんて建前に過ぎない。表現の自由は、感情抑制議員たちによる規制の恐怖に常に脅かされているのだ。
エロゲー規制を対岸の火事と思うことなかれ。一旦、規制が進むと、間違いなく他のジャンルや媒体にも影響を与えかねない。
性的暴力が描かれているから陵辱ゲー禁止、性的な内容が人間に悪影響を及ぼすからエロゲー禁止、犯罪を助長する恐れがあるので暴力的なゲーム(FPS/ACT/RPG/ADV/RTSなど)禁止、現実と区別がつかなくなるからゲーム禁止。映画や小説、アニメやドラマも人間に悪影響を与えるので禁止。
18歳未満のグラビアは児童虐待に繋がるから禁止、子供が映っている映像や写真も児童虐待に繋がるので禁止、女性が映っている写真は婦女暴行に繋がるから禁止、人間が映っている写真は性的衝動を発動させる危険性があるので禁止、人間を描くのも禁止。
グラインドコアやデスメタルは暴力的衝動を促すので禁止、メタルやハードロックも暴力的なので禁止、ハウスやテクノは冷静な判断能力を失わせるので禁止、音楽は人間の感情に悪影響を及ぼすので禁止。
最後にはすべての創作が禁止され、人々は感情を抑圧されながら生きていくことになる。感情を抑圧できないものに待っているのは教育、または死。常に我々はグラマトン・クラリックの監視に怯えながら…いや、いつか恐怖すら感じなくなる。そして、政府が歴史を都合よく改ざんしているのを知りながら、改ざんしていないと心から信じるようになるのだ。すなわちダブルシンク(二重思考)の恐怖である。
我々がこれまで通り、人間らしくあろうとするには何をすべきか。
行動するしかない。自分たちの権利を守るために。人間らしさを喪失させようとする政府に対して、反旗を翻す必要があるし、むしろ必ず行動を起こさなければならない。
閑話休題。
娘に性的衝動を感じるようになってしまった父親は、徐々に欲望を抑えられなくなり、実の娘に手を出してしまう。
主人公が初めから異常者なら陵辱行為は別次元のものとして受け入れるのだが、この作品の主人公はノーマルな状態から徐々に異常な衝動が浮き上がっていき、その過程が人間らしい自然さを表現するのに成功している。父親であろうとする葛藤が丁寧に描かれており、それが生々しさを生み出し、陵辱性や鬼畜性を際立たせているといえよう。
ただし、体験版では寸止めのところで終わってしまい、肝心のシーンが描かれていないのが残念だ。これは陵辱系ゲーム規制に対するソフト表現なのだとか…製品版ではえっちいなシーンもしっかり描かれているらしい。
まとめ
製品版では陵辱シーンがふんだんに用意され、コーラ洗浄などの鬼畜極まりない行為もあるのだとか。娘たちの関係性はしっかり描けているので、問題は陵辱シーンだ。簡単に和姦になるとつまらないので、調教が豊富なのが望ましい。和姦は締めの最後くらいでいいのではないか。立ち絵の体のバランスがおかしいが、一枚絵ではちゃんと描けているし、デザインは私好み。チェックしておこう。