セールをやっていたVambrace: Cold Soulのアートワークがかっこよくて購入しようかなと考えていたのだがまだ日本語が導入されていないということで一旦保留。そういえば Darkest Dungeonをずっと積んだままだっただなぁ…と思い出し、プレイすることにした。
Darkest Dungeonは新しい解釈で作ったダンジョンRPGと表現することもできるし、あるいは経営シミュレーションとも言えるかもしれない。どの視点で遊ぶかによって、見え方が変わってくるゲームだ。
物語は領主が冒険者へダンジョン探索依頼の手紙を贈るところから始まる。すると夢と希望に溢れた冒険者が領地へやってくる。彼らを薄暗くて気味の悪いダンジョンへ出撃させる。ダンジョンには敵や罠が待ち受けており、冒険者の体力と精神力を蝕んでいく。冒険者が持ち帰った宝で施設を改修し、ダーケストダンジョンの最深部を目指すのがゲームの目的だ。
普通のダンジョンRPGと違うところは「命の扱いが軽い」ところだ。冒険者は冒険する度にストレスで精神を蝕まれ、奇癖が付いていく。奇癖は悪い癖ばかりではないがどちらかといえば悪影響の方が強い。ストレス値が半分以上を超えると精神異常を起こしてしまう。アイテムを盗んだり、戦闘中にネガティブな発言を繰り返し、仲間の尊厳を傷付けていく。
例えば「悪態」を覚えたキャラクターは仲間の攻撃を見て「ゴミみたいな攻撃だな(意訳)」とか「そこらへんのガキの方が役に立つわ(意訳)」と発言し、それを聞いた仲間はストレスが溜まり、精神異常に近付いていく。まるで現実世界の縮図のようだ。
人の気持ちを理解できない人間、他人の発言によって傷付いた人間、それを見て傷付く人達。ストレス値とテキストのあわせ技によってキャラクターに命が吹き込まれ、生々しいストレス社会が見事に表現されている。ゲームの見た目はコミカルでありながら、ものすごく生々しい。
ストレスは娯楽施設で回復できるし、精神異常は病院で取り除くことができる。しかし、利用料金が必要だ。冒険に行く度に何かを抱えてくる冒険者をいちいち治療していては資金が足りない。
夢と希望を抱えた新米冒険者は毎週のようにやってきて、「やりがい」で働いてくれる。彼らはお金を要求しないし、居場所さえ与えておけばいい。精神異常と悪癖を抱えたら解雇。ぶっ壊れるまで働かして、壊れたらポイだ。ここには労基は存在しない。
ここがDarkest Dungeonが従来のダンジョンRPGとは異なるところだ。普通のダンジョンRPGなら仲間はプレイヤーの分身のような存在で、たとえHPが0になってもなにかしらの復活手段が用意されていたりする。Darkest Dungeonにはそんな甘ったれた幻想のような救済措置は存在しないし、死んだキャラは戻ってこないし、中途半端な性能の使えないキャラは「使い捨て」た方が効率がいい。
むしろ、冒険者と同じ目線でやっているとこっちの精神がやられてくる。彼らに情をかけてはいけないのだ。神目線で人間の生き様を見守る方が楽しめるだろう。夢と希望でいっぱいだったはずの人間が精神をぶっ壊し、死んだような目をしながら互いに傷付け合う。これが神々の遊び。なぜ、神は人間を作ったのか。それは人間の苦しむ姿が面白いからだ(暴論)あー、早く楽になりたい(自殺願望)