私なりにサイバーパンクについて解釈した記事になります。
まず、このサイバーパンクという言葉について。サイバーは情報、電子、機械などの意味合いがあり、パンクは過激という意味となります。情報化が進んだヤベー社会を題材にしたジャンルとして考えてもらえばいいと思います。
このジャンルの根底にあるのが情報化が進んだ社会の問題、物や情報で満たされた世界でも人間の心は満たされず、逆に荒廃していく。これは現代社会に通じる問題です。
たとえば、数十年前なら数十分かけて手書きで手紙を書き、郵送して返事が帰ってくるまでには時間の余裕がありました。今はメールやラインでメッセージを受けたら瞬時に返さなければならない。技術の進歩によって、やりとりが手軽にできるようになった反面、仕事量は増え、より忙しくなりました。
もちろん、恩恵もたくさんありますが、手紙を書いて一服して待つような暇はなくなりつつあり、それが本当に人間にとっての幸せなのかと疑問が浮かぶ側面もあります。サイバーパンクはそういった問題にも切り込んでいくジャンルとなります。
サイバーパンクの概念を決定付けた作品はウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」という小説になります。それまでにも「接続された女」などのサイバーパンクに繋がる要素を取り込んだ小説はありましたが現在のサイバーパンクの概念を確立したのはニューロマンサーです。
ニューロマンサーではスーパーハッカーの主人公がハッキングの依頼をされ、様々な陰謀に巻き込まれていく物語となっています。体を機械で強化した人間、人間の脳とネットを繋げる電脳の技術、他人の電脳を操る犯罪、人間そのものを情報化して電脳空間で再現する技術などがこのシリーズで語られています。
ウィリアム・ギブスンはそれ以前にもSF小説を執筆しており、「記憶屋ジョニー」という短編作品はニューロマンサーの前日譚となっています。この記憶屋ジョニーは頭にデータを埋め込んで運ぶ、運び屋の物語です。「JM」という名前で映画化され、キアヌ・リーブスが主演を務め、北野武が敵役で登場しています。
そして、次にサイバーパンクに影響を与えた作品として「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の存在があります。人間と同じような外見と思考を持つロボット、アンドロイドが脱走し、主人公のデッカードはそのアンドロイドを始末しなければなりません。
しかし、デッカードはアンドロイドと出会う度に彼らに同情し始め、始末することを躊躇するようになります。この作品で語られているのは本物と偽物、人間と機械、その違いです。
作者のフィリップ・K・ディックは人間と機械の違いとして「共感力」を挙げています。それは他人に共感する力、他人の気持ちになって考えられる能力です。
小説の冒頭では「砂漠で裏返った亀を見て、あなたはどうするか」を問いかけられます。あるアンドロイドは質問の意図が理解できず、返答できません。
中盤ではマーサー教という宗教が登場します。マーサー信者は共感装置を身に着け、砂漠を歩き続けるぼろぼろの姿のマーサーを追体験し、マーサーの感じている苦しみに共感します。その後、マーサーという存在は雇われの売れない役者が演じたキャラクターで、砂漠もセットということが分かります。
しかし、それらが偽りだったとしてもマーサー信者にとってマーサーやその体験は本当。たとえ、作られた偽物だったとしても、それが本人にとって価値があるものならば、それはある意味で本物よりも本当なのです。
私達は映画、漫画、ドラマ、ゲームなどの創作物で感動したり、興奮したりします。それらは作られた嘘っぱちに過ぎませんが見ている時は存在するものとして楽しみます。それは私達に共感力や想像力があるからなのです。だからこそ共感力を持つ人間のデッカードはアンドロイドの境遇に同情してしまい、始末することを戸惑うのです。
逆に他人の気持ちになって考えられないのは人間ではないと言えるかもしれません。ルールを破り、他人の気持ちを無視し、平気で傷付けたりする人間は嫌われます。
孟子の性善説、荀子の性悪説でも「人間は弱い存在なので放っておいたら悪いことをするから勉強しなさい」と言っています。
ここでいう勉強とは心の学問、哲学のことです。人間でいる為に、悪い方向へ流されないように常に考え、努力をしなければならないということなのです。低い方向へ流されていくのは簡単です。だからこそ高い方向を目指さなければならない。
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は映画化され、「ブレードランナー」として公開されています。物語は原作の電気羊をものすごく単純化していますが映像はそれまでの映画に無かったイメージを表現し、後続の作品に多大な影響を与えています。
ブレードランナーを監督したリドリー・スコットは、これは探偵物語なのでハードボイルドでフィルム・ノワールのような夜の話にしたいと考えますが夜は情報量が少なく、映像として物足りない。
そこで建物のそこら中にネオンを取り付け、雑多なイメージを作り上げ、さらに雨を降らして地面が反射するようにして情報量を増やしています。それまでのSF映画というとクリーンな整理整頓された未来の風景が多かった為、ブレードランナーの猥雑な未来の映像は人々に強い影響を与えました。現在のサイバーパンクのイメージはこのブレードランナーから来ています。
そして、もう一つ外せない作品として「攻殻機動隊」があります。これは士郎正宗さんの漫画で公安9課という警察組織が犯罪者を捕まえる刑事物です。この作品で起こる犯罪は電脳犯罪、情報社会で起きうる犯罪が主となっています。
攻殻機動隊が優れている点はウィリアム・ギブスンのニューロマンサーに登場した技術を見事に漫画化した点になります。機械で体を強化した人間や電脳空間を絵として表現することに成功しています。
これは後に押井守によって映画化され、「GHOST IN THE SHELL」として世界的に高い評価を得ています。押井さんがビューティフル・ドリーマーから続けている現実と虚構、本物と偽物のテーマが作品と合致し、大成功した例です。
GHOST IN THE SHELLの続編「イノセンス」では「孤独に歩め。悪を成さず。求めるところ少なく。林の中の象のように」という仏陀の言葉が引用されます。
切磋琢磨しあえる良き友がいないなら孤独でいよう。悪い人間とはかかわらないようにして、慎ましく生きなさいという意味です。体を機械化、情報化しても人間が人間である為の方法が仏陀の言葉にあると押井さんは言いたいのではないかと思います。
ゲームの世界では、System Shockが有名です。宇宙船に閉じ込められた人間がロボットやAIと戦い、電脳空間を行ったり来たりしながら脱出するサバイバルRPGです。このゲームの特徴はなんといっても自由度。敵と物理で戦うこともできますがハッキングや超能力で戦うこともでき、多彩な行動を取れるところにあります。
その流れを引き継いだのがDeus Exです。このゲームでも銃撃戦で行くか、ハッキングで切り抜けるかは自由に選べ、体を強化することで様々な能力が使えるようになります。
このシリーズは売上も良く、Deus Ex:Invisible War、Deus Ex:Human Revolution、Deus Ex:Mankind Dividedとして続いています。Mankind Dividedでは体を機械化した人間と生身の人間の対立が描かれ、現実世界の差別問題が題材になっています。
そして、今回のCyberpunk2077。The Witcherシリーズで高い評価を得たCD Project REDの新作FPSです。これまでファンタジーRPGを作ってきた同社にとって、新しい試みとなります。FPSとしてどうなのか、物語は今回も優れているのか。期待が非常に高い作品です。
この作品でもSystem ShockやDeus Exのように様々な解決方法が用意され、自由度の高いゲームデザインとなっているようです。設定の元となるのはCyberpunkというテーブルトークRPGとなります。昔のRPGはダンジョン&ドラゴンズというテーブルトークRPGに影響を受けていますし、今も最新作が作られているFalloutシリーズもGURPSというテーブルトークRPGから影響を受けています。
Cyberpunk2077では電脳空間のキャラクターの一人をキアヌ・リーブスが演じています。キアヌさんの起用理由はJM、記憶屋ジョニー繋がりではないかと私は考えています。「なぜキアヌさんが起用されたんだろう?」と言っている人がいたら「昔、JMというサイバーパンクの映画の主演をやっていたからじゃない?」と言うと知ったかぶりに使えるかもしれないので良かったら使って見て下さい。
最近、インディーゲームなどでもサイバーパンクを題材にしたものが増えています。現実世界が情報化社会となり、サイバーパンク作品に登場した世界や事件が現実味を帯びてきたからこそ、共感できる設定として流行っているのではないかと私は考えます。
あなたにとってサイバーパンクとはどういう存在でしょうか。
今日は私の考えるサイバーパンクについて話してみました。
ご視聴ありがとうございます。