前回の開き直り謝罪動画に対して暖かいコメントを下さる人ばっかりでまだ生きててもええんかなと考え直させてもらいました。もっとボロクソに貶されたり、幼女イタズラ魔とかスーパー女性店員ストーカーとか、いわれのない罵詈雑言をぶつけられるのかと思っていましたが本当に優しいコメントばかりでまだこの世界に希望が持てましたね。
動画については一旦、距離を置こうと考えていたのですがThe Signal From Tölvaが面白そうだったのでやってみました。
大手のオープンワールドゲームよりも少しパワーダウンしたような内容なんですが、この世界観とか雰囲気が好みで個人的には結構良い印象を持ってます。実在の土地をテーマにしたオープンワールドにはあんまり心をくすぐられないというか、センスオブワンダーが勃起しないというか、多分そういうことやないかと思うんですよね。未知の世界やからワクワクする。そうやと思いませんか?
前半4分くらいは説明なので飛ばして下さい。
押井守の『Fallout4』通信 第2回「気がつけばテロリスト」
画像が狂気的。完全にケルベロスの流れやで。
実写攻殻のインタビューでも触れてたし、虚淵さんとの対話でもオープンワールドゲームについて語っていたけど、今のゲームもかなりやられているんでゲーム番組で親父の繰り言みたいなことをダラダラ話すのも面白いんじゃないかなと思う。
押井守:全然関係ない話なっちゃうけど、もっと言えば映画自体がゲームに水をあけられている。この2年間、ゲームばっかりやってきた結論として、これは映画ヤバイんじゃないって感じた。映画だと2時間で終わっちゃうけど、Fallout(核戦争後の地球を舞台にしたゲーム)は200時間やっても飽きない。終わらないし終わる必要もない。終わる必要がないってのは新しい形式だと思った。オープンフィールドの環境とキャラクターを用意すれば、あとは自分でストーリーを作れるからね。
映像体験としても全然いいですよ。時間が進むと光も変わってくるし、雨が降ったり風が吹いたりさ。僕ならロードショーに3回行くんだったらゲームを買う。もちろん優れたゲームだけの話になってくるけど、それが形になっちゃったことがショックだった。かつては一生懸命映画の真似してるなーってくらいに思ってたんだけどさ。今は眼中にないよね。2年近くゲームをやってきた結論として、こういう危機感を持たずに映画を作っていいのかっていう気がした。
だから、いい時代に映画作ってきたなぁと思うよ。あらゆることを体験したし、好きなことをやって来たしね。これからは作る人はそういうところが大変だよ(笑)。でもさ、余計思うんだけど今の映画っていろんな目先は変えられるんだけど、表現というレベルでは明らかに停滞してるよね。なんでもそうだけど結局デジタルってさ、目先はともかく表現の本質を変えなかったという気がしてる。だから映画にできることは何ひとつ変わっていないです。そういう意味で割とさ、冷たくというか突き放して見れるのは、僕がデジタル表現の人間じゃないからですよ。最近は80%、YouTubeしか見てないから。しかもYouTubeでゲーム見てるだけ。映画より面白いもん。みんな違うから。100人の人間がそれぞれ違う印象で席を立つっていうのを地で行ってんのがゲームなんだよね。100人が100人、違う物語を見てる。