Stonekeep – 尊さが失われた世代

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水が怖い。

しかしながら、ここを通り抜けないと先へ進めません。とことで、渋々ながら地下水道に挑戦。


地下水道には扉がなく、エリアの仕切りがわかるづらいため、敵に襲われた時の回避が厄介だ。また、画面の半分が水で隠れており、背の低いモンスターの位置が特定しづらいのも難点である。特にスライムは視認しづらく、攻撃も当てにくい。

それに水からいきなり何かが現れそう、もしくは何かに引きずりこまれそうな怖さがある。透明度の低い水には特有の恐怖感がつきまとう。先が見えないから怖い。だが、先が見えないからこそ、怖いもの見たさで進めてしまうのも事実かもしれない。

別段、水に関するトラウマはないのだが、深海や透明度の低い水がいつしか怖くなっていた。いつから水を恐れるようになったのだろう。

明確には思い出せないが、ゲーム中の水の表現で怖く感じたのは「マリオ64」が始めであったことを覚えている。マリオが呼吸困難で死に至りそうな恐怖、先が見えない深海、そしてウツボの姿が気持ち悪くて、恐怖感に襲われたのだと思う。それ以来、深海ゲーの類には恐怖を感じるようになった。

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恐々ながら地下水道を進んでいくと、突然、Drakeが「あいてて・・・足になんか当たったぞ」と反応。足元にカーソルを合わせると、シリンダーを発見した。先ほど書きそびれたが、ここでアイテムを落とすと、どこに落ちたのか分からなくなるのも難点だ。

シリンダーの使い道には覚えがある。確か、上の階にスイッチがあったはずだ。あの時は動作の仕方が分からなかったが、たぶんこのシリンダーを使えば動作するだろう。

とりあえず、先に地下水道の探索を終える。すべて見回ったが、いきどまりで先へ進めなかった。とある場所でFarliさんが「この壁は匂う。匂いますぞ!人間には分からないでしょうが、ドワーフのあっしには分かるんです」と仰っていたので、あの壁が怪しいのは確かだ。

上階に戻り、スイッチの場所へ行く。案の定、シリンダーはぴったりとはまり、スイッチを動作できるようになった。スイッチを「ポチっとな」しておく。

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怪しい壁の場所へ戻ると、壁が開けていた。先ほどのスイッチのお陰だろう。パズルを解いたことで意気揚々としながら先へ進む。

すると、触手が奥からやってきた。タコか、イカか、はたまた万年イカ野郎か、それとも弁当の中に入っている緑のササ ハラン野郎か、もしくは割れたコップのカビ野郎か。

まず、触手のディティールに嫌悪感を抱く。ゆらゆら揺らめくアニメーション、ぶつぶつの突起に鳥肌が立たざるを得ない。触手だけクローズアップして見るのは苦手だ。アスカじゃなくても「気持ち悪い」と言わざるを得ない。

この触手が異常に強い。攻撃力が尋常ではなく、一撃でDrakeのHPが30ほど削られる。その猛攻のせいでFarliさんがお亡くなりになった。そして、その後を追うDrake。

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このゲームでは仲間が亡くなるとロスト扱いになり、復活できない。そのお陰で仲間に対して責任感が生まれ、仲間の存在も強く感じられるようになっている。

なにしろ、自分が下手な行動をすると仲間が死ぬ恐れがある。仲間の死=リーダーである自分の責任だ。それに、死ぬ(ロストする)からこそキャラクターに「生」を感じられるのである。死の概念が重いからこそ、生に尊さが生まれるのだ。

仲間を容易に復活できてしまうと、生の扱いは軽くならざるを得ない。

ドラゴンボール
然り、ドラゴンクエスト然り。「ドラゴンボールで復活できるから死んでもいいじゃない。ドラゴンボールで地球を元に戻せるから壊してもいいじゃない」「教会で復活できるから死んでもいいじゃない。ザオリクで復活できるから死んでもいいじゃない」死の概念が軽いと、生に対して、このような軽薄な価値観を孕みかねない。まさにリセット感覚。これでは生の尊さも儚さもあったのものではない。

kana0907311なぜ加奈があれほど悲しいのかと言えば、不可避な死に対して必死に立ち向かおうとするからである。その姿に感動し、涙するのだ。

もし、加奈が呪文やら、魔法やらで復活できてしまったら、感動もクソもなかっただろう。

bs0907311ゲームの場合、復活が容易なら遊びやすくなる(プレイアビリティが高まる)のは事実だ。

バイオショック
(無限復活のチャンバー)がそうであったように、初心者でも手軽に遊べるようにするなら生の概念は軽い方がよい。

しかし、敢えて復活を困難にすることで生まれるものもある。

それは仲間に対する責任、戦闘の緊迫感、仲間の存在の重要性。初期Wizardryのキャラクターに対して異常に愛着が沸くのは、キャラを自分で作成できるのと、死んだらロストしてしまうからである。死んだら存在がなくなってしまうからこそ、常に戦闘に緊張感が生まれ、キャラが愛おしく感じられるのだ。復活を容易にしていたら、キャラクターを駒感覚で扱っていたことだろう。

生の概念はプレイアビリティの面で賛否両論があることだろう。復活が容易なら遊びやすい、復活が困難だと難易度が高くなる。個人的には、生の概念は重いほうが好きだ。死があるからこそ、生に価値が生まれると思うから。

コメント

  1. >>匿名さん
    私は最低でもデスペナルティは欲しい派ですかね。
    バイオショックは何のペナルティなしに復活できてしまうことが分かった時点で魅力が一気になくなりました。

    容易に復活できるシステムのゲームが、シナリオで命はどーだこーだいっても、まるで説得力がありません。
    キャラの復活ができないとストーリーに融通が利かなくなるのは分かりますけど、それを踏まえてデザインしたゲームが私は好きですね。

    >>チャモロさん
    ブログ読みました。まさにドンピシャですね。
    挙げられた例は、いずれも恐怖を感じました。
    同じことを感じている人ががいたとは驚きです。

  2. 潜った先に待ち構える敵もまた怖いのですが
    もぐれない仕様のゲームで、水面を泳ぎ続けるのもちょっとした恐怖な気がしますね
    泳いでいる間は移動速度が落ち、下から何かくるのではという恐怖だとか、上から攻撃されても陸に上がるまで成す術無しだとか。
    現実に水と言うのは恐ろしい物ですし、水が怖いゲームであればあるほど、より自然だとも思いますね

    命の重さに関しては、オブリビオンの闘技場で、最後の敵が戦闘をやめてしまうところでグッときました。
    そこまでゲームをプレイしていて、「一度死ぬと生き返らない」と言うシステムを把握してるが故に、自分の行動に重みが増します
    逆に「命」の存在が軽いゲームは息抜きにって感じがしますね。息抜きに鬱になったのでは元も子もないですし

    長文ですいません 汗

  3. 深海が怖いというのは分かります!
    ブログでも書いたことありますが、
    http://abysssky.blog28.fc2.com/blog-entry-197.html
    小さい頃、プール内の鉄柵付きの穴(給水・排水溝?)が怖かったのも繋がっている気がします。
    そして、ゲームにおける透明度の低い水中の恐怖を明確に感じたのは、自分も64であったと思います。
    『マリオ64』のウツボや別エリアへの穴などは言わずもがな、
    『スターウォーズ帝国の影』の水中戦もしかり。
    『マリオ64』に至っては、城の周りの川や堀ですら、何かが隠されていそうな恐怖があったものです。
    最近では、『Crysis』のサメや『BOILING POINT』のピラニア、『Fallout 3』の濁った水中、『Legendary』の地下水道もビビりました。
    『ぼくのなつやすみ2』のような平和なゲームでさえ恐怖を感じてしまうのは、未知への恐怖が大きいのかも知れません。

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