アニメ「ウマ娘」は競争原理社会に欠けたものを教えてくれる

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アマゾンプライムで放送されていたのでシーズン1を視聴。2018年当時は奇抜な名前+擬人化ネタを見下して視聴しなかったのだが、外見で食わず嫌いしていた自分がバカだった。

実在のお馬さんのエピソードを盛り込みつつ、夢に向かって走り続ける少女の努力と友情が描かれた素晴らしい作品であった。

ウマ娘のアニメは見ていて、気持ちがいい。不快感がない。それは差別がなく、弱者がきちんと救済されている点に尽きる。

ウマ娘たちは普通の人間とは異なった人種のようだが差別をされているような描写はなく、むしろみんなが応援する有名人のような扱いを受けている。

道端を散歩しているおじさんがポッケからにんじんを取り出してウマ娘に差し入れしたり、子供たちは練習を頑張っているウマ娘たちに「がんばえー」と応援する。人種間に存在するであろう軋轢は意図して描かれていない。

レースには勝者が一人だけ存在し、残りは敗者となる。敗者とは人の尊厳を踏みにじり、できない者扱いする烙印である。そうしたできない者扱いされた敗者や弱者をこのアニメではきちんと救済している。

レースの出場者はライバル関係ではあるものの、助けを乞うたら手を差し伸べ、時には支えてあげる。それでも足りなければトレーナー、寮長、生徒会長といった大きな立場の人間が助けに入る。

このアニメでは靴の中に画鋲を入れたり、靴紐を切ったりはしない。ライバルは自分を高める良き存在であり、ウマ娘同士が切磋琢磨で研鑽していく。自助、共助、公助の重要性が描かれている。

競争という言葉は”competition”(コンペティション)に由来し、「お互いが競って優劣を争う」ことである。生まれた時から敗者の道で始まったものはそこから抜け出すことは容易ではなく、その状態が長引けば妬みや嫉妬が凝縮され、足の引っ張り合いが加速していく。

2000年に入って以降、バトルロワイヤルを皮切りに生存競争を主題にした作品が流行ジャンルの一つになった。それは他人を出し抜き、自分だけが生き残る競争原理社会の縮図である。自分がよければ他はどうでもいい。小渕恵三以降、強まっていった流れだ。ウマ娘はそういった主義とは逆行する作品である。自国通貨建て、変動相場制、対外純資産世界一でデフレの我が国ならばウマ娘のような優しい世界に戻すことが今なら可能なのだ。

恵まれた側にいるあなたは、恵まれていない人たちを見て、本人の努力不足と切り捨てるのかもしれない。しかし、地震や津波によって、あなただって恵まれない側に回る可能性を忘れてはならない。

あとウマ娘はボテ腹が素晴らしい。このオグリキャップの愛らしいお腹を見て欲しい。今までボテ腹が苦手だったのに、変な性癖に目覚める。一話に一回、誰かがボテ腹しているのでスタッフの中におかしい性癖の人がいると思います。

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