■これまでの作品を過去のものにし、マンネリという言葉さえ凌駕する圧倒的な表現力
大仰な演出とお使いゲー。Call of Dutyの最新作はどう変わったのか |
しかし、新しいものにチャレンジすることだけが、マンネリを解決する方法ではない。従来の手法を変えなくとも、内容の質を高めればマンネリさえも凌駕することは可能なのである。
Call of Duty 4は、これまでのCall of Dutyシリーズの手法を忠実に守っている。仲間と戦場を駆け抜け、銃撃戦を繰り広げ、大仰な演出を体感する。これがこのシリーズの伝統であり、醍醐味なのは周知の事実であろう。
だが、CoD1、CoD2と続けていく内に、避け難いマンネリが忍び寄っていたのも事実。「あれしろ」、「これしろ」のお使いばかりの白けた展開が、今回も続くのではないかという危惧を誰しも感じたのではないだろうか。
確かに、CoD4にも「あれしろ」、「これしろ」のお使いがあるのは事実だ。ゲームを始めた当初は「またこのスタイルか…進歩がないな」と感じるかもしれない。しかし、ゲームを続けていく内に、その認識は変化していく。スタイルはこれまでと同様だが、このスタイルでも悪くはない、むしろ好ましいと考え直されてしまうはずである。CoD4には、プレイヤーをそう納得させる説得力があり、それによってマンネリさえも覆していくのだ。
やっていることはこれまでのシリーズと同じだが、どこか新鮮味を感じてしまうのは、演出&ストーリーテリングの質がこれまで以上に極まっている為であろう。CoD4の圧倒的な表現力の前に、今までのFPSの演出と呼ばれているものが、一瞬にして陳腐に感じられてしまう。シリーズ物の中には、過去の作品や前作の方が良かったなんて話は数え切れない程あるが、Call of Dutyに関して言えば、「最新作がシリーズ中最高峰」だと断言出来る内容に仕上がっている。誠実で実直な作り込みに、これまでの作品は色褪せてしまうしかない。
ここまで濃密な物語を体感させてくれるゲームは数少ない。“映画的なゲーム”と卑下されることはよくあるが、世界に自ら干渉し、空気を肌で体感出来る点は“ゲーム”に出来て、“映画”には決して出来ない魅力である。CoD4は、その魅力や喜びを十二分に実感させてくれるに違いない。
●多角的な視点から集約していく人間ドラマ
ボクもマクミラン大尉に惚れそうです |
CoD2ではWWIIという制約上のせいか、ここはイギリス軍、ここはドイツ軍と、どうしても断続的なゲーム展開になってしまっていた。CoD4では、時系列(時間軸)通りにゲームが進行し、一つの出来事を多角的な視点から見せながら展開していく連続性を意識したシナリオに変わっているのだ。WWIIではドイツ軍やら、ロシア軍と相手が様々であったが、今回の諸悪の根源はザカーエフ一人、それにより目的性がハッキリとし、一貫としたシナリオを構築している。
各主人公に繋がりを持たせることで、ゲーム展開はよりドラマティック性を増した。特に、イギリス陸軍(SAS)で、それは顕著に見られる(ここから下はネタバレするので注意して頂きたい)。
まず、初めに操作するのが軍曹のソープだ。彼はプライス大尉の部隊の一メンバーである。信頼のおけるプライス大尉の指示を仰ぎながら、ソープは行動していくことになり、テロリスト達の確信に迫っていく内に、裏で操っているのは「ザカーエフ」だと判明する。
そこから、ゲームは15年前に遡っていくことになる。ここでの主人公は15年前のプライス。まだ、経験も浅い彼を操作し、マクミラン大尉と共に二人だけの潜入をすることになるのだ。プライスとマクミラン大尉のミッションは「ザカーエフ」の暗殺である。マクミラン大尉は、プライスに経験を持たせるため、スナイパーライフルを握らせて、ザカーエフを長距離射撃させようとするのだが、突然現れたヘリのローターの風により弾道が反れ、ザカーエフを仕留め損なう。
こういった過去の因縁を体感させることで、プライス(大尉)の心情を読み解けるようになり、プライスの演技もリアリティを増していく。マクミラン大尉に手解きを受けたプライスがやがて大尉になり、プライス大尉の部隊で行動したソープが大尉となっていく。軍隊における繋がりや絆を描いたことで、物語はより深みを増していくのだ。人間を語らずして、ヒューマンドラマは描けないし、戦場にも臨場感が感じられない。歴史を語るには「説明的理解」のみで構わないが、そこに実感を持たせようとすれば「直接的理解」を体験させる必要があるのだ。CoD4は多角的な視点から語ることで、それを体感させるのに成功している。これは主人公が一人だけでは決して描くことは出来ない。
ザカーエフとプライス大尉の因縁はラストで締められる。夢中でゲームを進めていた私は、胸が締め付けられる想いであった。ここまで感情を揺さぶりかけるFPSは今まであっただろうか。やはりシナリオを紡ぐことが本職の脚本家が参加しているとこうも違うのか、CoD4の演出は極地である。是非、その目で確かめて頂きたい。
●演出が極まっている為に起こる弊害
上記で述べた様に、演出は大変素晴らしいのだが、どうも「シューティングゲーム」をプレイしている感覚が薄い。銃を撃って、敵を倒しているのだが、演出を見る為にシューティングという儀式をしているような主従の逆転を感じるのだ。ゲームの進行も、シューティングで打開していくというより、トリガーがある地点に到達していくという印象が強い。極端な話、敵の相手は仲間に任せて、自分はダッシュで猛進することも可能であり、開始当初はFPSという概念を改めて考えさせられた。
演出を見る為にシューティングをしていても、それはシューティングゲームたりえるのかという疑問が頭を巡ったのは事実。しかし、それはゲームを進めていく内に間違いであることに気付いた。いや、考え直させられたと言った方が適切かもしれない。CoD4ではシューティングさえも演出の一つであり、「こういうFPSだってあってもいいんだよ」と優しく諭す力強さがある。「これはFPSなのか」という不満や懐疑心さえも、圧倒的な表現力の前に説得させられ、お使いさえも快感に変えてしまうのだ。「何を言っているのか」と思われるかもしれないが、CoD4をプレイして頂ければ、きっと理解してもらえるはずである。
いわゆるCall of Dutyらしい展開。だが、それがいい! |
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爽快感のあるアーケードシューター色の強いシューティング戦は今回も健在 |
ロシアの小隊に見つからないよう芋虫プレイ。ここは音楽の使い方が秀逸で、心を高揚させてくれる |
ザカーエフ(右)。惜しくも外れてしまったが、プライスの一撃で左手を失くしている |
ミサイルの被害状況。ミサイルが発射されてしまった!だけに終わらせず、その影響を知らせるのは偉い。 |
■FPSゲーマーなら必ずプレイしておくこと
シューティングゲームとしての感覚は薄いが、あまりある演出力によって、それは補われる。FPS(一人称体感ゲーム)という媒体を活かしたストーリーテリングは、FPSゲーマーなら必ず体験しておくべきである。「またお使いゲーでしょ」という人も、騙されたと思ってプレイして欲しい。きっと心地よい満足感が、満たしてくれるハズだ。
2007年11月18日 記