FPS UnKnown


FEAR

ボクはMonolithが大好きだ。ボクにFPSを教えてくれた初恋の相手。

作品の節々から滲み出ているオタク観。
類を呼ぶとはこの事なのだと、この時初めて実感した。

色物的な印象を与えている時もあるけど、ゲームを開発する力も一流で、
ボクの求めていたモノを隙間なく埋めてくれたのがMonolithだった。

涙が溢れそうなくらいに、あの頃ボクはMonolithにフォーリンLOVEしていた。
トキメキを、ロマンスを抑えきる事ができなかった。

あの頃ボクはMonolithの事ばかり考えていた。でも、恋はロンリネスなものだから。
今は思春期を迎えている。難しい年頃。
素直にはなれないケド、Monolithのことは現在進行形で好きだから。


□FEAR

開発はMonolith社。ミリタリー色の強い銃撃戦にジャパニーズホラーを盛り込んだ異色的なFPS。Timegate Studiosが開発した拡張パックとなるF.E.A.R. Extraction Pointが2006年10月に発売。現在、Monolith社はFEAR2の開発に取りかかっている。

ライブドア社から音声吹替した日本語版が販売されていたが、ライブドアショック以降は販売を停止している。今のところ、それを引き継ぐ代理店もない。

□未完成なストーリー

テレパス能力を持つフェッテルが脱走し、クローン部隊を掌握した所からストーリーは始まる。それを鎮圧するために、派遣されたFEARの面々。主人公はFEARのメンバーとして、クローン部隊を停止する為に、フェッテルを追うが―。

プレイヤーが入手できる情報は断片的で、全容はハッキリしない。ラストは続編へと続くというカタチで終わっており、拡張パックのExtraction Pointでもほとんど明かされる事は無かったようで、ストーリーを重視する人はFEAR2を待つ必要があるだろう。

冒頭。もう少しドラマスティックな展開を期待していたのだが。

□相容れないコンセプト 恐怖×銃撃戦

FATAL FRAMEに影響を受けたようで、ジャパニーズホラーを意識した恐怖演出をゲーム中に盛り込んでいる。ノイズと共に、現れる幻影がその主である。FEARは心身にじりじりと迫る恐怖感=サイコロジーホラーを狙っているようだが、その演出はミリタリー色の強いゲーム性とは相容れない内容で、恐怖を感じ取りにくい。確かに、人気の無いオフィス内というのは一種、異様な雰囲気を孕んでいるが、血みどろの銃撃戦を繰り広げ、興奮したプレイヤーに対してはインパクトに欠ける。
この内容なら、四つん這いで這ってくるアルマに対して、ローキックをブチかまし、仰向けにした所をマウントポジションから左右のコンビーネーションを加える様な荒唐無稽ホラーを目指した方が光明があっただろう。 むしろ私はありきたりのホラーよりも、そういうのを求めていた。

そもそもFATAL FRAMEは線の細い主人公が屋敷の中でカメラを使って亡霊を除霊していくというパニックホラーとサイコロジーホラー両方を兼ね備えたゲームであるが、FEARの場合は屈強な主人公がクローン兵士とジャンジャンバリバリの銃撃戦を繰り広げた後に、ちらちらと霊のようなものが現れるシークエンスが挟まれるという内容で、コンセプトの時点で疑問符が浮かぶ。
シークエンスにしても、登場する場所はきちんと区別されていて、『戦闘が終わったからこの辺で現れるかな…やっぱりか』みたいな予定調和が展開する。サイコロジーホラーにはお決まりのパターンよりも、不規則的な展開が好ましいと私は思う。

延々とこういった感じのチラ(モロもあるよ)リズムが続く

□ゲーム世界への没入を拒む欠陥

今までMonolithは個性の強いキャラクターを主人公に迎えていたが、今回は90度違う。声を発しなければ、姿も見せない。
プレイヤー=主人公の『移入型主人公』(ここでは便宜的にそう呼ぶ事にする)のスタイルを取った。

主人公はFEAR部隊に数日前に配属された新入り。あくまでFEARのいちメンバーというスタンス。名前を用意せず、パッケージなどでも姿を見せていないのは、この『移入型主人公』としては理想に近い。
このタイプの前例として、Half Lifeが挙げられるが、これの場合は初めの時点で既に破綻している。ゴードン・フリーマンという名前・メガネをかけた無精髭の青年・プレイヤーが知らない主人公の過去をNPCがベラベラと話す等…主人公に個性(というより『個と断定できる要素』)を与えてしまっているからだ。

だが、残念ながらFEARの場合も、ストーリーが進むにつれて、その構造は破綻していく。無個性だと思われた主人公がシナリオの根幹に関わる重要な存在だというのが明らかになってくるのだ。自分が主人公だと思っていたものが、異質なものへと変化し、『移入型主人公』は一人歩きを始めてしまった。

『移入型主人公』の在り方として、一番重要なのは『いかにプレイヤーをゲーム世界に没入させるか』に尽きる。唯脳的に例えるならば、プレイヤーは脳であり、『移入型主人公』は肉体だと言える。『移入型主人公』とは、ゲーム世界にプレイヤーが干渉する為のインターフェイスに過ぎない。その場合、肉体は他者の混じり気の無いシロであればシロであるほど望ましいのは明らかだ。

ゲームというメディアは、
脳(プレイヤー)世界(ゲーム)で存在証明する為に肉体(主人公)を欲し、
肉体(主人公)世界(ゲーム)で行動する為に司る脳(プレイヤー)を欲し、
世界(ゲーム)は物を語りかける存在(プレイヤー&主人公)を欲した。
といった共生関係で成り立っているように思えなくもない。

ここで重要なのは『移入型主人公』に対して、脳は心を機能させる事が出来るのか・否かである。ゲーム世界で 『脳が心を機能させる』ということは、つまりゲーム世界での没入や移入となる。 脳が作り出した神経伝達物質が脳自身に影響を与え、心を機能させる様に、ゲーム世界はプレイヤーが主人公自身なのだと常に訴えかけ、心を機能させる必要性がある。
だが、FPSの『移入型主人公』達は常にプレイヤーを裏切り続けた。心を機能させるどころか、心を機能させないように阻止してしまう。心というものは 、主人公という殻の中に脳が望んでいない自分以外の存在を見出した・認識してしまった時点で容易に壊れてしまうデリケートなものなのだ。

NPCがプレイヤーが知らない主人公の過去について言及する。そして延々とNPCは一人芝居。それは不自然極まりない上に、
『ゴードン。あなた、ダクトを通るのがうまいらしいわね。 昔はよくバーニーと競争していたとか』
などと主人公という存在に対して、他人の像を意識させる様な会話シーン(そもそも一方通行な話しなので会話とも言えない)は愚の骨頂であると言える。そのいちシーンだけでも『移入型主人公』にとっては大きな過ちになりかねない。

カタツムリとレウコクロリディウムの関係に例えてみよう。レウコクロリディウムは鳥に寄生するために、まずカタツムリに寄生し、影を好むカタツムリの原理に反して、勝手に体を操って姿を晒し、鳥に啄ばまれる様に注意を引いて本望を遂げるという恐ろしい習性を持った寄生虫。
ここでのカタツムリは『移入型主人公』を含むゲーム全体、レウコクロリディウムはプレイヤーを現す。 私達はカタツムリに寄生し、ゲームをクリアするという本懐を遂げるまで、カタツムリ自身に成りきりたいのだが、強い自我を持ったカタツムリはレウコクロリディウムである私達に対して強い反発を示し、プレイヤーがカタツムリに成りきること 、つまり世界へ没頭することを拒み続ける。 それはまるで脳が作り出した世界へ脳が帰結するという入れ子構造を阻止するのが脳自身だとでもいうように。

『主人公に近づきたい』、『シンクロしたい』と強く望みながらも、『自分は主人公ではない』と断絶 してしまう矛盾を生み出すのは脳自身だというのが実に小憎たらしいが、そう認識してしまった(させてしまった)時点でゲーム世界へプレイヤーが没入する道は絶たれてしまう。 ゲーム世界から拒絶されたプレイヤーに残された道は俯瞰視点から物語を見つめるのみ。切り離された肉体と生の感じられないキャラクターの猿芝居を眺め続けなければならない耐え難い苦痛が押し寄せる。だからこそゲーム世界は、少しでも『貴方は主人公ではない』という要因を与えてはいけないのだ。

シークエンスで登場したフェッテルが度々、主人公に問う。
『お前は昔の記憶があるか?』

この発言はメタ的(副次的)なニュアンスを含んだダブルミーニングとも取れる。『フェッテルが主人公に対して』と、『開発者がプレイヤーに対して 』言及しているという二つの意味で。だが、その思惑は最低限の情報を説明する事を省いてしまったが為に、矛盾を生み出した。ゲームはFEARの本部からいきなり始まる。知らさせれるのは主人公は ズバ抜けた反射神経を備えているという事だけ。プレイヤーが過去を知らないのは当たり前の事だ。

恐らく、フェッテルの自我が芽生えるのも見越して、コールドスリープ(的なもの)を解かれ、FEARに配属されるという流れだと思うが、 そこで疑問が浮かんでくる 。主人公は、他の記憶を植えつけられているのかという事だ。

そもそも記憶そのものが無いとするならば、主人公が記憶が無い事に対して、疑問が浮かばないのはオカシイ。というよりも、『主人公が記憶に対してどう思っているのか』という考えがプレイヤーに生まれた時点で、『移入型主人公』のスタイルとしては失敗に終わっている。 主人公は自分ではない他者と感じてしまった時点で。プレイヤーと主人公の間には大きな溝が生まれ、その溝を埋めるのは容易ではなくなった。

プレイヤーに記憶が無いと理解させるには、主人公が凍結を解かれ、FEARに入隊するシーンまでをきちんと追体験させるべきなのだ。それを怠ったが為に、主人公は記憶があるのか、無いのかという疑念を生んでしまう結果になった。 フェッテルが自我に芽生えるシーンも大切だが、こちらもきちんと描くべきだった。
自我に芽生えた暴君、それを阻止する為に解かれた主人公、対となる二人の発端が描いていれば、物語としても魅力を増し、豊かになったかもしれない。

しかし、まだFEARにも再起のチャンスはある。先にも述べたように、FEARはこれだけでは完結していない。答えを出すのは早計というものだ。 こういった中途半端な作品を売り出すのは如何なものかと思うが、開発費が誇大化している今は、私個人として強く言及したくない。ただし、曖昧なシナリオが唯一許されるのはメタエッセンスを含んだものや、基盤となるプロットが確立し、 それをきちんとプレーヤーに与えたものだけ。現時点でFEARはそれには含まれない。

FEARのみならず、FPSのシナリオというものは、シナリオとは呼べない中途半端なプロットであるものが多く、しかもその上を徐行運転しているような情報不足のゲームが蔓延っている。特にFPSにおいては、A地点からN地点までの追体験だけで終わらせるものばかりだ。A地点からZ地点までの細部や終局を見つめたいユーザーもいるという事を知って欲しい。認識して欲しい。
ただ、それだけをプレ イヤーである私の脳は望み、悶々としているのだから。

私はFEAR一作だけを見た場合、衒学的で意味を成さない上記の自己言及を述べた上で、このプロットは『移入型主人公』のスタイルにはそぐわないと断定しておく。
ただし、自ら倒壊していく『移入型主人公』が悪いのであって、『移入型主人公』のスタイルそのものが悪いとは決して言っていない。
もし『移入型主人公』にプレイヤーが没入することが出来れば、従来の『強い個性を持った主人公を第三者の視点から見つめるゲーム』と違った 新鮮な感覚を与えてくれるはずだ。極めて自然な無意識下でのロールアクト、それを味わせてくれるFPSが登場する時まで、待ち続けていたい。

この前のシーンがあれば…。 個々の演出は特殊部隊ぽいのもあり、悪くない。

□心地良い銃撃感

武器の挙動は極めてアクションよりで、リロードが早く、弾数も多くて取り回しが良い。ダメージバランスは厳しいが、スローモ(バレットタイム)を使えば、大人数相手に立ち回る事も難しくはない。敵を攻撃すれば、血飛沫が景気良く飛び散り、被弾した部位を大きく仰け反らせる。敵が断末魔を上げながら死んでいく姿をスローモで眺めるのは 気持ちが良い。

エフェクトやパーティクルも優れており、銃撃戦を盛り上げるのに一役買っている。スローモ中の弾丸が空間を突き抜けるような軌跡、グレネードが一時的に起こす空気の歪み、 機械が発生する紫光、銃弾が金属に接触すると飛び散る火花、弾が地面を削ると粉塵が舞い、壁を舐めればパララックスマッピングがリアルなデカルを残す。
演出過剰な気がしないでもないが、プレイヤーが感じ取れないような微細な変化では元も子もない。むしろこれぐらい大仰な位が望ましい。窓を殴れば音を立てて割れ、壁を撃てば痕を残す。当然の事。

例えグラフィックがフォトリアルに近いものへと進化していったとしても、その世界にプレイヤーが影響を与えられない・干渉できないのではハリボテと同義。プレイヤーのアクションに対して、常にゲーム世界が反応を返す。ゲームというメディアの場合は、静的だけでなく、動的な変化の作りこみも リアルな世界を作り出すための重要なファクターなのだ。結果としてFEARは視覚や聴覚を最大限に利用し、分かりやすく変化をプレイヤーに伝える事で、激しい銃撃戦の雰囲気を生み出し、心地良い銃撃感をプレイヤーに与えるのに成功している。

激しい交戦の後を眺めるのも一興。 とにかく演出過多な銃撃戦が素晴らしい。

□緊張感のあるスリリングな戦闘。だが…

Monolithと言えば、NOLFから確立した状況判断能力に優れたAIとの戦闘。クローン兵達はきちんと連携し、的確にプレイヤーを追い詰めてくる。正面に隠れていると思ったら、いつのまにか回り込んで裏を取ってきた時もあり、ビックリさせられた場面もあった。アクションよりのゲーム展開になった今回も手応えの感じられる銃撃戦が体感できるだろう。

だが、その戦闘空間が限定的かつ全体を通してシチュエーション(ある一定の場所へ進むと敵が登場)が似通っており、AIのポテンシャルを殺してしまっている。NOLFの様な多彩なアプローチは許されず、道は極めてリニア式。しかも、ここからは戦闘で、ここからは恐怖演出でとエリア毎に区切られていると強く感じられてしまう構造になっているのには興醒めしてしまう。
クローン兵やデルタフォースの面々がアルマに襲われるシーンが間接的にあったので、戦闘中でも起こるのだろうと期待していたのだが、最後までそれは登場しなかった。いつ襲われるか分からないランダム性も怖さに影響し、ゲームにも変化を与えてくれると思うのだが。クローン兵との戦闘中に、主人公は幻影を見て、それを撃つ。迎えているクローン兵は見当違いの方向へ乱射している主人公を見て不審に思う。その姿は、客観的に見て面白そうではないか。

マシーネンクリーガーとの戦闘も。 ヘヴィーアーマーは手強い相手だ。

□入門用にオススメしたい一本

なにやら不満ばかりを羅列している様に思えるが、これは私がMonolithに対して特異な感情を抱いている為。
光と影のコントラストと派手なエフェクトの奏演は美しく、シューティングの基礎となる部分はしっかりと作られており、個々の演出も素直な人には楽しめるハズ。基準点を満たしたバランスは保っており、特にFPSの初心者である方にはオススメしたい一本だ。

シークレット。ラジオからは昇剛、ホワイトボードには昇剛から永久欠番のカウボーイの絵。 遠景は作りこみの甘さが目立つ。

□Link
Monolith
FEAR
FEAR Files

2007.2.16 記

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