NieR:Automata – 死んで解脱します(2)

メインクエストだけを追うと新しいエリアがどんどん開放されていくのだがサブクエストや探索していないところが多いのでそれを潰してからメインを進めている。アクションが気持ちいいので雑魚とついつい戦闘をしてしまい、レベルが上がり過ぎた。メインの敵が弱くなりすぎ、やりすぎた感は否めない。プラグインを付け差しして調整した方がいいんだろうけど、プラグインを強化しまくって強くなるのを実感するのもまた一興なわけで……縛りを入れるのはなかなか難しい。自制ができない人間ですまぬ。

メインストーリーは怪しげな機械生命体のコミュニティが出てきて、なかなか興味深い話になった。御上である異星人が死滅し、目的を失った機械生命体の事例の一つがここで描かれている。行き場を失った者たちは超越的な存在である神を信仰し、コミュニティを形成する。教祖は機械生命体の目的喪失を解消する方法は死であると悟り、それを信じて狂信者全員が死を選ぶというかなりカルトな結末。なんでこうなった……。

森で平和なコミュニティを築いているパスカルとは正反対の結末でビックリした。パスカルは争いの中で同胞が壊れていく(死んでいく)のを目の当たりにし、それに恐怖を覚え、平和的な村を作った。御上の目的(地球を防衛する為にアンドロイドや人間と戦うこと)を無視して、その決断をすることができた理由は統一的なネットワークから切り離されたことが原因ではと現段階では匂わせている。

パスカルはまごころや思いやりを重んじ、他人を尊重する生き方を目的とした。そのため本来は敵対勢力であるアンドロイドの2Bや9S、レジスタンスのメンバーにも最低限の道徳があるので友好的に接している。逆にアンドロイドと戦闘を繰り返しているだけの機械生命体や聞く耳を持たないカルト信者には少し冷淡な態度をとっている。前の記事でも言ったけど実に人間らしい。(余談だけどパスカルの定理のパスカルと同じ名前を付けているのもなにか含みがあるんだろうし、CVに観念を亡くして概念となった声優を起用したのもなにか意味があるんだと思う。パスカルの演技は慈愛を感じるかなりバブみの高い演技だ)

大好きな家族がいて、親友がいて、時には笑い、時には泣く、そんなどこにでもある日常。市立見滝原中学校に通う、普通の中学二年生・鹿目まどかも、そんな日常の中で暮らす一人。ある日、彼女に不思議な出会いが訪れる。この出会いは偶然なのか、必然なのか、彼女はまだ知らない。それは、彼女の運命を変えてしまうような出会い――それは、新た...

私がこのゲームの機械生命体を愛らしく感じるのはそういう人間臭い部分なんだろうなと思う。人間はすでに死滅しているので一人も出てこないけどここでは人間を模した機械を通じて人間賛歌が描かれている。元々は創造主の為に地球を奪い合うという目的を持って作られた存在だけどすでにその本来の目的は喪失していて、自分自身の手で目的を掴み取らなければいけないというところも人間と共通している。

ただ、パスカルの村はまだ小規模だからいいもののこれ以上巨大な規模になっていくとコミュニティの維持は難しくなるのではないか。あるいはそのあたりのテーマや終着点の一つがこのカルト宗教にはあったのではないかと思った。数十人規模のコミュニティなら暗黙の了解で機能するところはあるがそれが数百人、数千人となるとルールが必要になってくる。

ルールとは現実的なものであれば法律、抽象的なものであれば宗教で、それらを用いないと規模が大きくなるにつれて混沌が生じていく。我々は自動車を運転する時に交通ルールや道路があるから事故を起こさないがもし自由に走れと言われたら事故が多発するのは想像に難くない。しかし、法律も宗教も指針を間違えば悲惨な末路を迎えてしまう。

今後、そういう社会的なものが描かれていくのかは不明だけどどういう風に転ぶのかが楽しみな物語ですね。フェティッシュだけで推してるゲームかと思いきや、アクションはよくできているし、物語や設定もよく考えられているし、考える材料として面白い内容だと思う。みんなおっぱいとかパンツとか尻とかいいすぎちゃうかと思いますね、自分の中では。あと森の王とかいうのが瞬殺されたんですがあれなんやったんすかね…。一種の超越的な存在や超自然的なものなのか。森の王なんですぐ死んでしまうん。

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