Assassin’s Creed Unity – そこにあるリアルリアリティ(1)

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初期のタイトルは暗殺者を追体験するデズモンドを操作するという構造でプレイヤーと暗殺者の間に大きな隔たりがあったがそれが今作では主人公を匿名の一般人、つまりプレイヤー自身を主人公にすることで暗殺者との距離を近く感じさせる。暗殺者体験ゲームを遊んでいたら若いOLのビショップに腕を見込まれて歴史発掘計画に誘われ、それに協力するという流れで、もしかしたらこういうことがあるかも…という現実感のある設定になっている。

ビショップとの通信は一方的で送られてくる動画も粗く、現代の主人公を操作するパートが無いのが逆に功を奏し、現実感を向上させ、暗殺者の追体験もすんなりと受けいれられるようになった。余計なものを省く、引き算の勝利。暗殺者体験に水を差しまくった初期のタイトルよりも遥かに良い。

主人公アルノーの序盤の描き方は丁寧なのだが青年期と暗殺者以降は飛ばしすぎで残念。歴史発掘にはそこは不要というのは分かるのだが物語としてそこを飛ばすのはいかがかなという感は否めない。父親を殺された時に手を差し伸べてくれたのが義父となるデラセールで、普段はアルノーは軽口を叩いたり、デラセールはアルノーのやんちゃ加減に手を焼くのだがそこには情がきちんと存在し、だからこそアルノーはデラセールの仇に固執して私情と信条で揺れ動くと思われるのだがデラセールの描写がほんの少ししかない為になかなか共感しづらい。スターウォーズエピソード3のアナキンをいきなり見せられているような端折り方。デラセールの娘のエリスにしてももっと描くべき。

キャラクターの演技は質が高く、言葉ですべて語らずに映像で見せるシーンもあって、かなりレベルの高い演出が行われている。アルノーが父親から受け取った懐中時計は父親暗殺時に壊れ、時を刻まなくなった。アルノーはその後も壊れた時計を大事に持ち歩くがそれは過去に囚われている証。暗殺者に真実を伝えられ、壊れた時計を鍵にして暗殺者としての新たな道を歩み出す、つまり止まっていた時間を再び刻み始めるという導入は見事。乞食の王との会話で山羊が横切るシーンがあるのだがここも言葉で語らず、演出で語っている。演出自体はハイレベルなのだが作劇部分は物足りない、今のところはそういう感じですかね。チュートリアルが長くなりすぎる為、青年期はこれくらいに収めるしか無かったというのが伝わってくるのだが肝心のゲーム部分よりも物語の方が魅力なだけにもったいないな、残念だなと思いますね。

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